教会は何をする場所か【使徒2:41-47】

2024年

そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた、その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。
信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

使徒2:41-47

仕事に行っている病院の入院患者さんたちが

「この病院、優しいナースさんが多い!」と言われます。

私はそれを聞いて

「本当にそうなんですよ~! みな良い方が多いです!」というと

患者さんが「良いナースさんが集まる病院」と言われ

何となくその言葉が心に残っていました。

そしてふと思ったのです。

この病院は、良いナースさんの集まりかもしれないけれど…

教会は「罪人の集まり…」

だと思ったのです。

そして今日の御言葉は、

初代教会について書かれている箇所でした。

一日で3000人もの人が信じたのです。

教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた…

毎日、心を一つにして宮に集まっていたのです。

心を一つにして、交わりをしていたのです。

簡単に言えば「互いに愛し合っていたのです」

初代教会は、「愛し合う場所」だったのです。

今の私たちはどうだろう…

互いに愛し合う場所となってるんだろうか…

愛し合う為に集まっているだろうか。

私たちは、教会に行く時に何を求めて行ってるんだろう。

信仰生活で何を大切にしてるんだろう

多分…自分と主との関係。

これを大切にする事が、悪いわけではないですが。

凄く、自分に集中してしまっている様に思いました。

礼拝に出席して「今日は凄く恵まれた!」

「最近、説教を聞いても心に刺さらない…」

「昔はそうではなかったけど、ここの所、主を感じない」

信仰が、主と自分中心になり過ぎてしまっている様に感じました。

明日、愛し合う為に、

皆と心を一つにする為に、

共に祈る為に、教会に行きましょう!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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