信仰には法則があります【ヨハネ11:40b】

2024年

「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」

ヨハネ11:40b

今朝、目を覚まして急にこんな考えが浮かびました。

「どうして主は、12人の偵察隊をカナンの地に送ったんだろう…」と思ったのです。

主は、モーセに

「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」

と言われたのです。

ちょっと可笑しくないですか?

主はもう既に、イスラエルの民に「与えよう」としていたのです。

主は与えると言う計画を持っていたのに、

わざわざ偵察隊を送らせたのです。

各部族から一人ずつ選び、12人を送ったのです。

何の為に…?

主が、カナンの地がどのような土地か、知らないハズはありません。

「凄く豊かな土地だよ~! さあ、入りなさい!」と言われたのでもなく、

堂々とイスラエルの民がカナン人に交渉しに行った訳でもなく。

コソッと見に行かせたのです。

面白いですよね。

偵察隊の10人は、

その土地が実り豊かな良い地であるとは認めたものの、

その地に住む民は力強く、町々は城壁を持ち、

非常に大きく、私たちは攻め入れないと言ったのです。

カレブとヨシュアだけが「出来る!」と言いました。

結果的に、

イスラエルの民はカナンの地に入る事を躊躇し、

40年もの間、グルグルと彷徨う事になりました。

そして最終的には、

出来ないと言った10名と、その言葉を信じた者たちは、

約束の地に入れなかったのです。

出来る!と言ったカレブとヨシュアは、約束の地に入れたのです!

これは、何を教えているんでしょうか。

主が意地悪なテストをイスラエルの民にしたのでしょうか?

そうではなく、多分…

「私はあなた方にこれを与えようと思っている!」

「あなたは私を信じて、この祝福を受け取るか?」

と聞かれているんだと思います。

目の前の、自分達よりもはるかに大きいカナン人の存在に心を置くのか、

目に見えない主の祝福に心を置くのか…です。

あなたは、祝福を与えると言う私を信頼しますか?

このような問いかけは、

私たちにも起こりうることかもしれません。

目の前に置かれた、どうしようもない環境。

自分では解決できない問題。

八方塞がりな状況。

それに、あなたの目と心を置くのか?

目の前に主の祝福があるのに…

それを信じようとせず、受けようとしないのか。

私たちが主を信頼し、主を選択しないから…

同じところをグルグルと回り、

同じ問題、同じ環境をずっと持ち続けているかも…

目の前にある環境や条件を信じてしまい、

主を信じず…

イスラエルの民のように遠回りをしているのかもしれません。

私たちが見ないといけないのは、

環境、状況、条件の悪さではないのです。

…信仰には法則があるのです。

今日の御言葉は、イエスさまが

マリヤとマルタに言われた言葉です。

弟のラザロが死んで墓に葬られて4日経った時、

お墓の石を取り除きなさいと言い、

この言葉を言われたのです。

私たちは「見たら信じれる」と考えてしまいがちです。

しかし、主の法則は違うのです。

信じる者が、見る事になるのです。

「信じる」が先なのです。

今、目の前に大きな問題があるのは、

もしかしたら、ラッキーなのかもしれません!

主の御業を見れるチャンス。

主を信じ、一歩を踏み出しましょう…!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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