19 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算した。
20 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
22 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
23 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
24 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
25 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたのものです。』
26 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
27 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
29 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられるのです。マタイ25:19-29
今日の聖書の箇所は「タラント」の話です。
5タラント預かった人は、+5タラント儲け、合計10タラントにした。
2タラント預かった人は、+2タラント儲け、合計4タラントにした。
1タラント預かった人は、±0タラントで、合計1タラント。
何度も読んだこの話…
何となく「与えらえた才能」を用いなさい…と言われていると理解していました。
もちろん、ここで出てくる「タラント」は「賜物」であり、才能であると思います。
賜物も才能も… 自分のものではありません。
主から与えられたものであい、預かったもの。
そう考えると、
私たちの「命」も主に与えられたものであり、預かったものなのです。
では、この話は、単なる「特別な才能」だけでなく、
「自分の人生」でもあるように思います。
主によって与えられた私の命、私の人生は、
自分の物ではなく主のものであり、
預かったものです。
長男次男が時々、口にする言葉があります。
「あーーー天国でイエスさまに会った時 ″良くやった! 忠実なしもべだ!! ” って言ってもらいたい…!!」
本当にそうですよね。
単にイエスさまを信じて、神の御国に入るという「救い」はもちろんですが、
自分の人生に対して「報い」の一言があれば、
どんなに嬉しいだろうか…と思います。
主に会った時、
「よく頑張った!」「本当に偉かった!」
「私はあなたから喜びを感じていたよ!」
「あなたを抱きしめたかった」と言われたら…
考えただけで、涙がでます…(笑)
主は10タラントに増やした者、4タラントにしたもの、
「良くやった。忠実なしもべだ」と
同じ言葉をかけられています。
多く増やしたかが問題ではないのです。
自分の力量のベストを喜ばれるのです。
しかし、19節をみると
「よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算した」とあります。
私たちは預かったものを「清算」する時があるという事です。
「精算」ではなく「清算」
「精算」は金額を細かく計算することや、計算して過不足などを処理すること。
「清算」は貸し借りの結末をつけること。
主から預かったものは「貸し」かもしれません…
主から預かった私の人生というタラント。
自分の人生をどの様に過ごすべきなのか考え行動する必要があります。
自分の与えられた時間を、主を愛し、隣人を愛するのです。
主と共に一日一日を過ごし、主に語りかけ、賛美を口ずさみ…
そして、隣人を愛する。
マタイ25:40
『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
自分の隣人、小さく者、弱者、困っている者にした事は、
主にしたのと同じだと言われています!
人に仕える人生です!
人を愛する人生です!
主に接するように、今日出会う、一人ひとりに仕えて行きたいと思います!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)