感謝をストレスとして受けていました…【ルカ15:20-25】

2024年
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こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』

ルカ15:20-25

先日、学校にいる次男から写メ付きでLINEが入りました。

「パソコンを習いたい!このチラシを見て!」と。

読んで見ると、

プログラミングを学ぶ。週に2回、3カ月。

授業料は無料。交通費支給。

3カ月間、最後まで学び終えたら、

教室で使っていたパソコンを贈呈すると書いてあります。(企業などで買い替えの際に不要になったパソコンです)

「ここに行きたい!」というのです。

私はそのLINEを見て…ため息が出たのです。

もう何年も前から、どこかでパソコンを習えないか…と探していました。

そんな時、このパソコン教室を見つけたのです!

うわー凄くいい…神様ありがとう!と思いつつ、

次男に話したら「え?興味ない!大人になってもパソコンは使わん!」とひと蹴り。

そのひと蹴りした教室のチラシを私に送って来たのです。

私が「良かった!学ぼうとしてくれて!」と思えれば良かったのですが。

「またか…」と思ったのです。

次男は、何度となくこのパターンが多いのです。

〇〇習いたい!〇〇したい!と言うけれど、

いつもそれは、私が以前に勧めたこと…

「それってあの時…勧めたけど…」というと、

「えーー覚えてない! その時の自分に戻りたい…その時から学んでたら、今になって困らなかったのに…」というパターン。

だから、私は今回、パソコンでプログラミングを習いたいと言う次男に

ため息が出たのです。

そして次男へのラインの返信に

「どうして習いたいの?」「パソコンって大人になっても使わないと思うけど」という返信を送りました。(←大人げない…)

すると次男は、思ってもない返信が来たので

「どうして?何が気に入らないの?」

私「あなたは覚えてないんだろうけど、中学生の時に同じこの教室を勧めたけど、あなたは将来パソコンなんて使わん!と言ってたから」(←またしても大人げない…)

と送ったのです。

私は、次男から「えーーそうだったっけ?本当?ごめんごめん(笑)」と返信が来ると思っていました。

次男の返信は、私の想像を超えた一言…

「だるいって」だったのです。

そして、私の心はモヤモヤしました。

「だるいって」って何?

最近、本来ならば軽く謝って終わることであっても、

「だるいって」「きしょいって」と返信がきます。

相手は…16歳。そう16歳だ…と思いつつ、

何度となく繰り返されるこのパターンに

数日、モヤモヤが心に居座っていたのです。

そして今日、私が車の運転をしている時、

夫がスマホで放蕩息子の説教をしている動画を見ていました。

その説教を私は耳半分で聞いていました。

するとその方の説教の一部だけが耳に入って来たのです。

「父親が駆け寄るというのは、ユダヤ文化ではありえない事。

これは父親の威厳を失う行為。」

え…💦と思いました。

そうだ…この父親は生前に財産を要求し家を出て行った息子に対して…

毎日毎日、息子の帰りを待っていた。

そしてボロボロの服に身をまとった姿を見ても、それが息子だと気付いたのです。

息子の謝罪に対して、父親は何の返答もせず、

しもべを呼んで「急いで一番良い着物を持って来て…」と言っています。

謝罪は受けなくても、父親は息子の気持ちが分かるのです。

息子が帰って来たという事実だけで全て許す準備をしていたのです。

父親は、しもべが沢山いる裕福なご主人のはずです。

沢山のしもべの前であっても、

「威厳」なんてどうでもいい…

この父親にとって、息子が帰って来る事以上のものは何もない…

そう思ったら、

私のこの心のモヤモヤの正体は…

親としての威厳だと気付いたのです。

そう気付くと、色んな事が今になって分かって来たのです。

数年前に、この教室の存在を知った時、

え…スゴい…嬉しい…神様ありがとう!と思い、

祈る事をせずに、

私は直ぐにそれを握って、自分の物にしようとしたのです。

また、私は何年も前からパソコンを学べるところを探していました。

そして見つけたのです。

心の準備ができていたのです。

しかし、次男には心の準備が出来ていなかったのです。

ある日突然「これ行ったら?」と前のめりな母親に勧められたのです。

私がまず、祈れば良かった…

それに手を伸ばして取って良いのか、主に聞けばよかった…

次男の心の状態も、祈って準備すれば良かった。

思ってもない有難い、高校生を後援している団体を目にして、

私は飛びつき、次男に勧めたのです。

本来ならば、今回、次男にやる気が出て、

主に感謝し、喜ぶべき事であるのに、

私はストレスとして受けたのです…

え…これってどういう事?

私が以前、自分勝手に飛びついてしまい、手にする事ができなかった事。

それを、手にする事ができるようになったのに…

「私はもう忘れていたのに、主は覚えていて下さった」という

感謝が出てもいいのに…

ストレスとして受け止めたのです。

こんな事ってあるんだ…

祝福を上げると言われ、望んでいた祝福なのに、

ストレスってなんだ…?

どこからそう変換されたんだろう…

私の「親としての威厳」です。

このプライドの様なもの。

子どもより上に立って当たり前という思い。

…もしかしたら、自分のプライドや自尊心などで、

主の祝福を違うものに変換させてしまっているかも…

そして、主は私を祝福してくれない…と

1人勝手に落胆しているかも知れません…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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