それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群集を帰してしまわれた。
群集を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言われた。マタイ14:22-27
今、自分が置かれた環境についてどうですか?
まあまあ良い!と答えれる人は少なく、
ちょっと…という人が多いと思います。
もしくは、もう本当にどうしていいか分からない…という人も多いのでは…
私たちは生きていれば、何かと辛い出来事が襲ってきます。
思ってもない出来事であったり、
誰かによって巻き込まれる事もあります。
そんな時、私たちがまず思う事は
「どうして私に…」という思いです。
「神さまがいるなら、どうして…」
そしてその困難がなかなか解決が見えず、一層難しい状況に追い込まれた時、
「私…何か間違った事をしただろうか…」
と思うのです。
間違った事があるなら、悔い改め、許しを得て、この問題から解放されたい。
と考えるのです。
私たちは、問題の原因を自分の中から探そうとします。
しかし多くの場合、そこから…
私たちの中からは、見つからないように思います。
なぜなら、主は私たちに罰を与えられる方ではないからです。
今日の聖書の箇所は、イエスさまが湖の上を歩かれた話です。
この奇跡の数時間前に、イエスさまは大きな奇跡を行われています。
パンと魚を、5000人(男性だけ)の人に食べさせるという奇跡です。
この奇跡の後、
イエスさまは、弟子たちを「強いて」舟に乗せたのです。
イエスさまは1人で群衆を解散させ、1人で祈る時間を持たれたのです。
弟子たちだけで「強いて」舟に乗らせ、カぺナウムへ行かせたのです。
この後、どうなるのでしょうか。
舟が湖の真ん中に来た時、嵐が起こります。
湖の上で辺りは真っ暗。
強風のため舟はひどく揺れたのです。
そして湖の上を歩く姿を見て幽霊だと思い、
怯え、恐ろしさのあまり叫んだのです。
イエスさまは、弟子たちが舟の中で嵐に遭い、困る事を知っていました。
しかし、「強いて」と送ったのです。
どうしてでしょうか。
弟子たちに喝を入れるため?
それとも信仰のテスト?
弟子たちが身の危険を感じ、恐れ叫び声をあげると分かっていながら…
主は、意地悪なのでしょうか。
弟子の立場から見れば、主に従ったのに… 危険にさらされたのです。
主に従ったのに、怖い思いをしたのです。
これは罰ではないのです。
弟子たちを「鍛えてやろう!」といった思いでもないのです。
この困難を通して、主を確かなものとして感じて欲しかったのです。
弟子たちは、人間には出来ない大きな奇跡を数時間前に体験したばかりです。
しかし、その奇跡は弟子たちは見ただけなのです。
単に凄い奇跡を目にしただけ。
主の奇跡と自分との関係は別だったのです。
主の奇跡は、自分のものにはなっていなかったのです。
弟子たちにとって主は、
単にそのような御業が出来る方…だったのです。
自分の人生にその御業が介入されるとは思っていないのです。
主は嵐の中に弟子たちを送る事によって、
目覚めさせたかったのです。
今まで見て来た奇跡は、自分にも起こる奇跡である。
多くの人に慕われ尊敬されるイエスさまは、
単なるスゴイ存在ではなく、自分の神である。
私は他の誰かだけでなく、あなたにも働く神であると語られているのです。
主は弟子たちが、嵐を通して、主の名を呼ぶ事を期待されておられたのです。
弟子たちが、イエスさまは「偉大な方」ではなく
「自分の主」であると知る為に、嵐の中に送られたのです。
…これは私たちにも該当する事です。
少し前に、聖書の御言葉に心を打たれたはず。
「主に感謝します!」と告白したはず。
賛美を捧げながら、心が満たされたはず。
しかし、毎月の支払日になると、一気に不安になるのです。
体調を崩すと、感謝は吹っ飛ぶのです。
誰かに何かを言われると、心をお深く痛めてしまうのです。
自分の願い通りに人生が進まないと、失望してしまうのです。
…弟子たちと同じ…
私たちは直ぐに忘れてしまう…
主は「私はここにいる!」
「私があなたの主である!」
「私の名を呼び求めなさい!」と言われているのです。
私たちは、主の恵みを忘れてはならない…
心満たされたら、その思いを失くさないようにしなければ…
直ぐに目の前の出来事に引っ張られるのです。
直ぐにこの世の価値観や常識という重力に引っ張られるのです。
私たちは、目に写るもの、直ぐ近くにあるものに
弱いのです。
自分の弱さを知り、
御言葉を口ずさみ、賛美と共に一日を送りましょう!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)