ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
ルツ2:3
今日の聖書の箇所は、ルツ記です。
聖書の中に女性の名前の書物が2つ、エステル記とルツ記があります。
この2つの書はとても面白いです。
物語のようになっており、他の書のように「主が言われた」というような
主を中心とした話の展開ではなく、
私たちの日常において、主がどの様に働かれているかを見る事が出来る、大切な書なのです。
ルツ記を要約すると…
イスラエルに住んでいた、エリメレク一家は、食料を求めモアブの地に移住したのです。
しかし、モアブの地で夫のエリメレクと、息子2人が死んだのです。
妻のナオミはもうこれ以上異国で住む必要性がないと思い、
息子たちの嫁に、別れを告げました。
しかし嫁のルツだけは、
「あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。
あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」と言い、
ナオミについて行くときかなかったのです。
未亡人になったナオミと、嫁のルツはエルサレムへ行きました。
ユダヤの律法で、貧しい者たちの配慮として「落穂ひろい」が許されていました。
異邦人のルツは落穂ひろいを仕事として、ナオミと生きて行こうと懸命に働きました。
偶然にもルツが入った畑は、ボアズの畑だったのです。
ボアズはナオミの親類であり「買戻しの権利」がある人だったのです。
夫の親族は、夫を亡くした女性と結婚する権利があるという事です。
結局、ボアズはルツと結婚をし、ナオミもルツも守られた人生を送ったという話です。
この5章からなるルツ記を読んで思う事は、
今日の御言葉にあるように、ルツはボアズの畑で「はからずも」働いたのです。
知らずに…という意味です。
偶然です。
行った先の畑が、たまたまボアズの畑だったのです。
しかし、ボアズよりもっと権利のある親類がいたのです。
その人にルツを買いとるかどうか確かめようとしている時に、
「すると、ちょうど」その親類に出会ったと記録されています。
この書の特徴は「偶然」「知らなかったけど」「すると、ちょうど」、
主が働かれているのを見る事が出来ます。
主の計画の中で、2人は出会うのです。
偶然を装って…
私たちの人生には、偶然のような必然な主の導きがあるのです。
このルツ記は、私たちが見逃してしまいそうな主の働いを見る事が出来るのです。
そして主の計画は、
単にルツとナオミが安定した生活を送れる…というだけではないのです。
ボアズのルツの間に、「オベド」が生まれ、オベドに「エッサイ」が生まれます。
エッサイに「ダビデ」が生まれるのです。
ルツは異邦人でありながらも、ダビデにつながるのです。
そしてイエスキリストとへと繋がっているのです。
ルツはどうしてこのように祝福されたのでしょうか。
ルツは、自分の故郷を捨て、ナオミの神を選択したのです。
そしてルツはナオミの言う事を素直に聞き従う者だったのです。
また、自分に出来る仕事を懸命にする人だったのです。
主がそれを見ておられ、祝福されたのです。
…私たちも、自分に与えらえた場で素直に懸命に仕える者として
生きて行くべきなんだと思います。
私たちの人生にも、「偶然を装った主の導き」があるのです。
自分の人生を振り返って見て、その「偶然を装った主の導き」に気付けたら、
それが自分の信仰に大きくプラスとなります。
主が私にも働いて下さっているという確信になるからです。
しかし、自分の人生を振り返らず、
「偶然を装った主の導き」を「偶然」だと受け止めれば、
主は自分には働いて下さっていない…と感じるのです。
自分の人生をよく振り返り、
自分の人生で出会った人や、出来事を思い巡らす時間を持ってみてください。
主が働かれている事。
主の祝福を感じる事が出来ますよ!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)