主が望まれている祈り【マタイ22:36-39】

2024年

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

マタイ22:36-39

祈りたい事って多くないですか?

沢山あり過ぎて… 何か集中出来なかったり。

あれも、これもと祈りの課題が頭に浮かびます。

友達の救いを祈らないと!

教会のあの人の病の癒し!

自分に押し迫る問題や誘惑…

希望する学校や就職先!

子どものこと…

親の事…

配偶者の救いも…

仕事での人間関係!

経済的問題……

テレビで事件や戦争を目にすると心が痛み「あぁ神さま…」と思います。

祈らないといけないこと、沢山たくさんあるのです。

祈りの課題が増えれば増えるほど、

「神さま、友達の〇〇さんを救ってください」と、一人ひとりについて簡単な祈りとなり、

祈りを忘れている人はいないだろうか…?と考え、

全て祈ったかな?と…確認し、

祈りが日々の「タスク」のようになってしまいます。

私たちはどのように祈れば良いのだろう…

私たちがどのように祈る事を主は望まれているのだろうか…

主が望まれている祈りとはどのような祈りなのだろう…

と考えさせられました。

主が私に望まれている事。

それは、今日の御言葉です。

私たちが主を愛する事。隣人を愛する事。

これが一番重要なのです。

だとしたら…

私たちは山ほどある、祈りたい事。祈って解決して欲しい事。願いを聞いて欲しい事。などなど…

これらの祈りよりも、

自分と主との関係について祈る必要があります。

沢山の祈りは、一旦、横に置き、

自分と主の関係の回復の為にだけ祈りを集中させるのです。

心が主により一杯に満たされた、

そのような思いを、もう一度感じるのです。

私が、主のもっと近くに行く事ができますように。

主を誰よりも愛する事が出来ますように。

主の思いが私の思いとなりますように。

賛美をしながら、沢山流した涙…あの時のように、

私と主の関係を回復させて下さい。

私は主ともっと親密な関係を持ちたいです…

あなたの近くに行きたいです。

…主が本当に一番、私たちの口から聞きたいのは、この様な祈りではないでしょうか。

主と私の関係の回復です。

友達の救い、病の癒し、希望の就職先、伝道、奉仕、問題解決、経済的問題からの解放…

これら全てが大切な祈りです。

しかし、沢山の祈りは、何度も何度も祈らないと、

主は祈りを聞いて下さらないのでしょうか。

…何よりも一番主が望まれているのは、

私と主の関係の回復なのです。

私が、素晴らしい主の働きを担っていたとしても、

懸命に伝道に力を入れていたとしても、

毎日かかさず聖書通読をしたとしても、

隣人の為に祈りを重ねても、

私自信が御言葉に心が熱くならず、

主を近くに感じられないならば…

それらの働きに意味はあるのでしょうか。

心を静め、沢山の祈りを一旦横に置き、

自分と主との関係の回復だけを求める祈りを、

主は待っておられます。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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