「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。マタイ22:36-39
祈りたい事って多くないですか?
沢山あり過ぎて… 何か集中出来なかったり。
あれも、これもと祈りの課題が頭に浮かびます。
友達の救いを祈らないと!
教会のあの人の病の癒し!
自分に押し迫る問題や誘惑…
希望する学校や就職先!
子どものこと…
親の事…
配偶者の救いも…
仕事での人間関係!
経済的問題……
テレビで事件や戦争を目にすると心が痛み「あぁ神さま…」と思います。
祈らないといけないこと、沢山たくさんあるのです。
祈りの課題が増えれば増えるほど、
「神さま、友達の〇〇さんを救ってください」と、一人ひとりについて簡単な祈りとなり、
祈りを忘れている人はいないだろうか…?と考え、
全て祈ったかな?と…確認し、
祈りが日々の「タスク」のようになってしまいます。
私たちはどのように祈れば良いのだろう…
私たちがどのように祈る事を主は望まれているのだろうか…
主が望まれている祈りとはどのような祈りなのだろう…
と考えさせられました。
主が私に望まれている事。
それは、今日の御言葉です。
私たちが主を愛する事。隣人を愛する事。
これが一番重要なのです。
だとしたら…
私たちは山ほどある、祈りたい事。祈って解決して欲しい事。願いを聞いて欲しい事。などなど…
これらの祈りよりも、
自分と主との関係について祈る必要があります。
沢山の祈りは、一旦、横に置き、
自分と主の関係の回復の為にだけ祈りを集中させるのです。
心が主により一杯に満たされた、
そのような思いを、もう一度感じるのです。
私が、主のもっと近くに行く事ができますように。
主を誰よりも愛する事が出来ますように。
主の思いが私の思いとなりますように。
賛美をしながら、沢山流した涙…あの時のように、
私と主の関係を回復させて下さい。
私は主ともっと親密な関係を持ちたいです…
あなたの近くに行きたいです。
…主が本当に一番、私たちの口から聞きたいのは、この様な祈りではないでしょうか。
主と私の関係の回復です。
友達の救い、病の癒し、希望の就職先、伝道、奉仕、問題解決、経済的問題からの解放…
これら全てが大切な祈りです。
しかし、沢山の祈りは、何度も何度も祈らないと、
主は祈りを聞いて下さらないのでしょうか。
…何よりも一番主が望まれているのは、
私と主の関係の回復なのです。
私が、素晴らしい主の働きを担っていたとしても、
懸命に伝道に力を入れていたとしても、
毎日かかさず聖書通読をしたとしても、
隣人の為に祈りを重ねても、
私自信が御言葉に心が熱くならず、
主を近くに感じられないならば…
それらの働きに意味はあるのでしょうか。
心を静め、沢山の祈りを一旦横に置き、
自分と主との関係の回復だけを求める祈りを、
主は待っておられます。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)