主は私をどの様な思いで見ておられるんだろう…【ルカ12:6-7】

2024年

五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。
それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。

ルカ12:6-7

先月、次男は学校からスキー合宿に行きました。

その時の写真を最近になって見ました。

他の保護者とスキーの団体写真を見ながら

「わー💦 スキーウェアも帽子も全てレンタルだから、もう誰が誰か分からないねー」と言いつつ、

一緒に各自スマホで見たのですが。

一瞬間を空け、Aくんのママが「次男くん見つけた?」と聞くのです。

「んーまだ!どこにいるか分からない… Aくんは見つかった?」

「私も! どこか分からないわー(笑)」と言う会話をしました。

…誰もが自分の子どもを探すのです。

写真に沢山の人が映っていても、誰もが自分の子どもまず探すのです。

そして子どもが、写真に笑って映っていたら「あースキー楽しかったのか! 良かった!」と感じるのです。

しかし、もし写真の端っこで1人離れて無表情で映っていたら

「あれ? 何かあったのかな? 楽しくなかったのかな。誰かとケンカでもしたのかな…」と心配になるのです。

仮にその写真を見ている時に、横に自分の子が居てたとしても、

スキー合宿での時の子どもの様子が気になるのです。

これは、親だからです。

親だから自分の子が気になり、多くの子どもが映っていても、自分の子を見つけ出そうとするのです。

…主も、このように私たちを見て下さっているんだと思います。

多くの人の一人にすぎない小さな私。

特に何かが優れている訳でもなく、取りえもなく…

大勢の中に一人に過ぎず、大勢に混じってしまう私。

しかし、主はいくら沢山の人が群がっていたとしても、私に注目されるのです。

私がどうしているのか。

どのような思いで今日過ごしているのか。

傷つき一人涙していないだろうか… 気になるのです。

父を忘れ、心が乱れた状態で過ごしていないだろうか…

父を忘れ、自分の力で何とかしようと踏ん張り、心底疲れていないだろうか。

赦すと言われた罪に対して、1人思い起こしては自分を責めていないだろうか。

私の愛が感じられないと、孤独に苛まれていないだろうか。

私の導きが遅いと、気を揉んでいないだろうか。

今日も、あなたが私に心を向けてくれたらいいのに…

私に気付いてくれたらいいのに。

私のサインに目を留めてくれないだろうか。

あなたが1人涙する時、私も共に心を痛めていることを知って欲しい。

私はあなたについて何もかも知っている。

あなたが知らないあなたの事についても、私は知っている。

私の美しい娘(息子)よ。私の御顔を見上げよ…

あなたの心が痛めば、私の心も痛む。

私は誰よりもあなたの事を知っている。

私にその痛む心を全て見せ、明け渡して欲しい…

…天の父は、今日も私たちに注目されているのです。

この瞬間も。

私たちの努力で出来ることではないですが、

いつも主を愛し、沢山の隣人を愛し、愛に溢れた姿を主に見て頂きたい…

主が私を見た時、

私が人々から沢山の愛を受け、幸せを感じ生きている姿より、

私が人々を愛し、愛に溢れた姿を見て頂ける生き方をしたい…

そのような生き方ができるように、

まず祈ろう…

祈ってそのような人生が歩めるように。

主がいつ私をご覧になられても喜んでもらえる子どもとなるように…

祈って整えてもらおう… と思いました。

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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