私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。
申命記30:19a
昨日のブログでパウロの事について書きました。
パウロは主に出会い、自分が進むべき道を変えた偉大な人物です。
主に出会う前のパウロは、誰もが恐れる権力者でした。
自分に降りかかる突如として起きた災難(盲目)に対して、自分の護衛や同行者を使い、剣を振りかざすという行動をとる事もできたはずです。
また、目が見えなくなったのなら、即座に一番腕の良い医者を求めることも出来たはずです。
主はパウロを盲目にされ、この様に言われました。
「 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
主は、パウロにとって目先の… ほんの僅かな一歩、
「立ち上がり町に入る」ということを示されました。
パウロに課せられた選択は、天からの声に対して反抗せず、その目先の一歩を従うかどうかです。
従えば、次にするべき事を知ることが出来るのです。
もしも、パウロに、
あなたが立ち上がって町に入ったら、
あなたは今までの人生を悔い改める時間を持つ事になり、方向転換し、バプテスマを受け、主を証しする者に変えられるんだよ。
あなたは主を伝道する旅に出る事になる。
旅ごとに助け人を準備するけれど、旅は貧しく、鞭打たれ投獄を繰り返すものとなる。
沢山の人々があなたを殺そうとする…
そしてあなたは、私の名の為に殉教するんだよ。(パウロは殉教したと言われている)
と言われたら…どうでしょう?
怖くて、目先の一歩を踏み出す事は出来ません。
盲目になった時にパウロが自分の将来の話を聞いたとしたら、
目先の第一歩は、滅びの道への入り口です。
しかし今、パウロは自分の人生を振り返って、どのように思っているでしょうか。
もちろん、聖書には書かれていませんが、
主に用いられた人生は、大満足だったのではないでしょうか。
感謝な人生だと思っているのではないでしょうか。
まさか、殉教するなんて… 神さま余りに酷いよ!とは思っていないと思います。
しかし、パウロは「立ち上がり町に入る」時は、そこまでの信仰はないのです。
信仰がまだ育っていないのです。
パウロには受け入れられないし、主の計画の偉大さは、あの時のパウロには分からないのです。
聖書を見るとこのように、主は第一歩しか示されない事が多くあります。
出エジプトもそうです。
イスラエルの民に、これからモーセをリーダーとして、奴隷としての身分が解放され、約束の地へと大移動します。
着くまでに40年かかります。ですから、出発しても約束の地に入れず亡くなる方もいます。
道中、厳しい旅になりますが、マナと言う食べ物は与えられます。
あ、途中、死ぬかと思う位、凄く怖い目にも遭いますが、主がちゃんと助けてくれますから!
と言われたら… 二の足を踏むのではないでしょうか。
こんな話を、昔、教会で聞いた事があります。
アメリカの2人の青年が、いつものようにストレス発散する為、町に繰り出し一騒ぎしようと出かけました。
ところがその途中、教会の看板が目に入りました。
「罪から来る報酬は死です」と書かれていたのです。
その言葉が、少し心にひっかかりを覚えたAさんは町に行くのを辞めました。
もう1人のBさんは、どうして行かないんだ??と、言い合いに。
結局、Bさんは、一人で町に向かいました。
そしてAさんは、その教会の夕拝に出席したのです。
その日を機に、Aさんは教会に続けて通う事になりましたが、
Bさんは変わらず騒ぎを起こす日々を送ったのです。
そして、数年後にAさんはクリスチャンとなりました。
Aさんは、キリストにあって良い人生を歩もうと決めたのです。
いくつかの成功を成し、政治の世界へと入ったのです。
Aさんは、アメリカの第22代、24代のクリーブランド大統領となったのです。
彼が大統領になった時、
昔一緒に過ごした友達Bさんは、刑務所でその知らせを耳にしたのです。
「今日彼は大統領に当選した。それに比べ俺は一生を刑務所で過ごさねばならない身である。何と惨めなことか。」と叫んだそうです。
私たちの生活にも、この様な転機があります。
主はごくわずかな一歩を示されます。
それが私たちの人生の転機なのです。
「聖書を読んだ方が良いのではないか?」
「もっと祈った方が良いのではないか?」
このような思いが与えられることもあります。
これも、主が示される第一歩です。
この一歩に従うかどうか。
牧師先生のメッセージを聞いて
「良いメッセージだった」
「今回の説教は自分に言われているようだった」で
終わってはいけないのです。
それは第一歩を踏み出せていない状態。
私たちの目の前には、いつも命の道と、そうでない道があるのです。
そうでない道は、簡単に楽しさやワクワク、充実感を与えてくれるかもしれません。
しかし、それは命の道ではないのです。
私たちは、良い方を選びましょう。
今日も、目の前にある良い方を選択する事ができますように!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」