愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
Ⅰヨハネ4:7-8
病院の夜勤の仕事は、
看護師さんが3人~4人と、助手の私一人で14時間働きます。
夜の病院は静かなイメージがあると思いますが、実はバタバタです。
毎回、マラソンをしてる感覚がある位です。
夜眠れない患者さんも多く、
脱水、感染、炎症、貧血、薬物など、身体的な負担がかかった時に生じる ‟意識の混乱”である「せん妄(もう)」という状態の人がよくいます。
高齢者の痴呆の方がせん妄状態になると…大変です。
夜中でも叫びますし、掴んだり叩いたり、噛もうとします。
また自分が病院にいるという事が分からない方も多く、家に帰ろうとするのです。
そんな方が2-3人いる上に、他の患者さんが急変などすると本当に大変…💦
仕事が翌朝、終わろうとする時、バテバテな状態です。
しかし、その時の夜勤のメンバーによっては、見事な連携プレーで大変ながらも、笑いながら対応できたりするのです。
反対に、その日のメンバーにより、そんなに大変な患者さんが多かったわけではないのに、ぐったり疲れる日もあります。
言葉に棘があったり、自分の仕事以外は関与しようとしない人がメンバーに居たりすると、
仕事がスタートした時点から、気持ち的に疲れてしまうのです。
どちらも同じ場所・空間での仕事です。
しかし、メンバーによって達成感を感じれる事もあれば、変に疲れてしまい、何となく嫌な思い出仕事を終える事があります。
人って大切…
どの様な価値観を持った人が集まるか…
集まった人たちがどの方向を目指しているか…
この2つに、左右されるように思います。
これは、何処でも当てはまる話だと思います。
学校、職場、仲良しグループでも… そして教会も。
私たちは、どのような教会を求めているでしょうか。
‟愛溢れる教会” ではないでしょうか。
しかし残念ながら、実際には教会で傷を受けたり、問題が生じたりもしているのです。
そして教会を離れてしまう事もあるのです。
どうすればいいのでしょうか。
教会に集まる私たちは、同じ方向を目指しています。(キリストや天の御国)
悪を離れ、主を見上げて生きて行こうと願い、主を信仰しているのです。
同じ方向を目指し、同じ価値観を持っているにも拘らず、愛溢れる教会へ実現が難しい…
それは、多分「与える心」より「求める心」の方が大きいからではないでしょうか。
時々、クリスチャンの方で「初めて〇〇教会に行ってみたけれど、誰も話しかけてくれる訳でもなく…」と言うような話を聞きます。
私たち日本人は、習慣として「言わなくても分かる」「誰がみてもわかる」「普通に考えたら…」という
「空気を読む」という習慣があります。
私は初めてこの教会に来たのだから、誰かが声をかけてくれるはず…と思ってしまうのです。
もちろん、誰かが気付き声をかけれれば一番良いのかもしれません。
しかし、覚えておくべき事があります。
私たちの習慣には「言わなくてもわかる」という「甘え」の考えを持っているという点です。
愛が溢れる教会…
これは自然に出来上がる訳ではなく、愛を与える人と愛を受ける人がいるのではなく、
一人一人が、隣人に愛を与える人なのです。
教会はサービスを受ける場所ではなく、仕える場所です。
まず自分が、毎週誰かに声をかけ、愛を伝えるのです。
こち小さな心遣いとも言えそうな小さな努力が、
愛が溢れる教会へとなっていくんだと思います。
明日は、主日。
主日ごとに、今まで話した事がない人に声をかけたり、挨拶を交わしてみるのもいいですよね!
愛を貰えない…と呟く前に、自分が人にキリストの愛を流しているか…
もう一度、考えてみようと思いました。
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」