信仰生活において「誘惑」の役割【ルカ4:1-13】

2024年

1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、

2 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。

3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」

4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」

5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、

6 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。

7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」

8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」

9 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。

10 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる』とも、

11 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる』とも書いてあるからです。」

12 するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている。」

13 誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。

ルカ4:1-13

今日は、前からまとめたかった「誘惑の内容」です。

イエスさまが遭われた誘惑についての内容を、今の自分で分かる限りまとめたいと思います。

イエスさまは、サタンから誘惑を受けました。

その期間… 40日です。

その間、断食されたのです。

その期間が過ぎ、空腹を覚えられた時に、最後に最大の誘惑を受けられたのです。

それが今日の御言葉にある3つの誘惑です。

➀この石をパンに変えて見よ(4:1-4)

「あなたは、パンを石に変える力を持っているのだから、自分の為にその力を使って自分を満足させて見よ」という誘惑です。

この時、天の父の御心はイエスさまがパンでお腹を満たす事ではなく、空腹である事。

サタンはイエスさまに「父に従わず、父から独立してみろよ。」

「お前にはその力があるじゃないか。」という誘惑です。

イエスさまは、受難の道を歩む為にこの世に生まれて来られました。

サタンは、その父の御心から離れ「自分で自分の道を歩めよ」という誘惑をしたのです。

イエスさまは『人はパンだけで生きるのではない』と答えました。

ここでパンを食べなくても死ぬことはない。しかし、神の御言葉を食べないと人は死ぬという意味で答えられたのです。

この誘惑を、私たちに適応すると…

あなたに与えらえられた才能、賜物、祝福を、自分の欲望を満たす為だけに用いてみよ!という意味だと思います。

②私を拝めば、国々の権力と栄光を与える(4:5-7)

サタンはイエスさまを高い所に連れて行かれました。そして町を見下ろしたのです。

目に写る町はエリコの町。

オアシスの町と言われ繁栄してる町を見せ、これを全てあげようと誘惑したのです。

サタンを拝むことで、この世の栄華を手に入れるというのです。

十字架の苦難の道なんて、そんな苦しい道を歩まないで…

この世の栄華を手にし、あなたが豊かになり、

貧しい人々を満たしてあげたら良いんじゃない?

という問いかけです。

それに対してイエスさまは『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と答えられました。

イエスさまは、天の父のみ信頼し、父の下さる使命に生きると言われました。

この誘惑を、私たちに適応すると…

主以外のもので、もっと簡単に心を満たせるよ?

永遠や神について考えずに、今したい事だけをして生きなさいよ!という誘惑。

クリスチャンは、この世の価値観との戦いがあるのです。

私たちは知らず知らず、この世の価値観でものを見てしまいます。

反射的にこの世の価値観でものを見てしまうのです。

③神殿から飛び降りなさい(4:9-12)

神殿の角の端に立たせ、下の谷に飛び降りて見ろという誘惑です。

十字架なんて苦しい救いを提供せず、

もっと簡単な方法があるよ。

奇跡を見せればいい。

奇跡を見せて人間を驚かせ、注目を浴びよ。そうして信じさせればいいんだよ。という誘惑。

イエスさまは『あなたの神である主を試みてはならない』と言われました。

この誘惑を、私たちに適応すると…

人の関心を求めて生きなさい。

人の関心、人に褒められる事を求めるなさい。という誘惑。

 

…イエスさまがサタンから試みに遭ったのは、

イエスさまがバプテスマを受け、聖霊に満たされた後です。

イエスさまは聖霊に満たされていた時に試みにあったのです。

聖霊さまはイエスさまを守り包むのではなく、

荒野に導いたと書かれています。

荒野でサタンの誘惑に遭われることを知って導かれたのです。

霊的にダウンしている時ではなく…聖霊に満たされている時に。

私たちも同じだと思います。

霊的にダウンしている時より、積極的に信仰生活を歩もうとしている時にそれを阻止しようと邪魔が入るのです。

主が私たちを誘惑される事はありませんが、

サタンが私たちを誘惑をする事はあります。

そして主がそれを許す事があるのです。

主よ…どうしてサタンが私を誘惑する事を許されるのですか??

ゆるさないで下さい!!と言いたいところですが…

主は、全てを益にして下さる方です。

誘惑は、私たちの「霊的成長」には必要なんだと思います。

主は、サタンの誘惑を用いて、私たちを霊的に成長という祝福をされるのです。

誘惑に勝つために必要な事は…

私たちが、御言葉を知るという事です。

イエスさまが誘惑に対して、御言葉で答えられたように、

私たちも誘惑に対して御言葉を照らし合わせ勝利していく…

という判断基準が必要です。

聖書を読む事って大切…!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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