自分の中にある「絶対に」という思い【ヨハネ8:31-32】

2024年

そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

ヨハネ8:31-32

すごーく久しぶりの友達から連絡がありました。

韓国で出会った友達。

私が韓国に留学したのは、1997年…

この友達に出会って25年は経っています。

連絡が来て久しぶりに話すのは20年ぶり…

凄く驚きました…💦

何一つ変わっていない。出会った当時と同じ話をします。

このAさんは、小さい時から父親にDVを受けてきました。

父親に対しての憎しみの思いが大きく、

20年前に会った時、会話をすると全てが父親の話につながるのです。

そして驚く事に、今回も全く同じでした…

違う話をしていても、父親につながり、憎しみや悲しみ、怒りの話になるのです。

Aさんの時間は止まっているのです。

連絡が途絶えていたこの20年間、色んな事があったはず。

親の元を離れ一人暮らしもしたし、結婚もしたし、子どもも生んだ。

そして問題のお父さんも亡くなっています。

Aさんは、自分の人生で沢山の転換点を経験しています。

自分の心の多くを占めてしまっている父親の存在。

その存在から離れ、やっと自由になれると思っていたのに、一人暮らしをしても同じなのです。

父親は見えなくても、Aさんの記憶、頭の中に存在するのです。

そしてその父親が亡くなった今でも…

長い長い電話が終わって。

「鎖に繋がれた象」の話を思い出しました。

大人になる前の象の足に、鎖を付けるのです。

鎖を付けられた象は何度も、鎖を引き離そうと試みます。

しかし鎖が解くことが出来なかったのです。

自分の力が及ばないという事を何度も経験した子象は、

大人になり力が強くなって、自分の力で鎖を切り離す事が出来る状態にまで成長しても、

鎖を引き離そうと力を入れて引っ張らなくなるそうです。

以前、繋がれていた範囲でしか生きて行かないそうです。

抵抗する事をしなくなるそうです。

私たちもこの象と同じかもしれません。

主は私たちに素晴らしい人生を準備されているのに、自分には無理だと思って諦めてしまっている。

そこに留まり続けなくても良いのに、留まり続けている思いを持っているかもしれません。

自分で自分の限界を決めてしまっている事があるかもしれません。

ふと思いました。

自分の中で「絶対に…」と思ってしまっている事があるかどうか。

絶対に許さない。

絶対に私には出来ない。

絶対に私は癒されない。

絶対に…

私は可愛くない。私は能力がない。私は幸せにはなれない。私は価値がある人間ではない。

私は必要とされない。私には力がない。

自分を取り巻く環境、自分が受けた傷が、自分の限界を決めてしまっているかも…

「絶対に…」という思いがあるかどうか。

主は、私たちの「絶対に」を軽々超える事が出来るお方です。

自分の中にある「絶対に」という思い。

その思いが、自分の人生の時計を止めてしまい、

同じところをグルグルと彷徨っているかもしれません。

主はその状態を望まれていません。

私たちが幸せに生きていく事を望まれています。

自分の中にある「絶対に」…という思い、

主の前に注ぎだし、自分が超える事ができない限界を、主によって超える事が出来ます!!

自分の時間を止めてしまっている部分が無いかどうか、祈ってみようと思います!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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