そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネ8:31-32
すごーく久しぶりの友達から連絡がありました。
韓国で出会った友達。
私が韓国に留学したのは、1997年…
この友達に出会って25年は経っています。
連絡が来て久しぶりに話すのは20年ぶり…
凄く驚きました…💦
何一つ変わっていない。出会った当時と同じ話をします。
このAさんは、小さい時から父親にDVを受けてきました。
父親に対しての憎しみの思いが大きく、
20年前に会った時、会話をすると全てが父親の話につながるのです。
そして驚く事に、今回も全く同じでした…
違う話をしていても、父親につながり、憎しみや悲しみ、怒りの話になるのです。
Aさんの時間は止まっているのです。
連絡が途絶えていたこの20年間、色んな事があったはず。
親の元を離れ一人暮らしもしたし、結婚もしたし、子どもも生んだ。
そして問題のお父さんも亡くなっています。
Aさんは、自分の人生で沢山の転換点を経験しています。
自分の心の多くを占めてしまっている父親の存在。
その存在から離れ、やっと自由になれると思っていたのに、一人暮らしをしても同じなのです。
父親は見えなくても、Aさんの記憶、頭の中に存在するのです。
そしてその父親が亡くなった今でも…
長い長い電話が終わって。
「鎖に繋がれた象」の話を思い出しました。
大人になる前の象の足に、鎖を付けるのです。
鎖を付けられた象は何度も、鎖を引き離そうと試みます。
しかし鎖が解くことが出来なかったのです。
自分の力が及ばないという事を何度も経験した子象は、
大人になり力が強くなって、自分の力で鎖を切り離す事が出来る状態にまで成長しても、
鎖を引き離そうと力を入れて引っ張らなくなるそうです。
以前、繋がれていた範囲でしか生きて行かないそうです。
抵抗する事をしなくなるそうです。
私たちもこの象と同じかもしれません。
主は私たちに素晴らしい人生を準備されているのに、自分には無理だと思って諦めてしまっている。
そこに留まり続けなくても良いのに、留まり続けている思いを持っているかもしれません。
自分で自分の限界を決めてしまっている事があるかもしれません。
ふと思いました。
自分の中で「絶対に…」と思ってしまっている事があるかどうか。
絶対に許さない。
絶対に私には出来ない。
絶対に私は癒されない。
絶対に…
私は可愛くない。私は能力がない。私は幸せにはなれない。私は価値がある人間ではない。
私は必要とされない。私には力がない。
自分を取り巻く環境、自分が受けた傷が、自分の限界を決めてしまっているかも…
「絶対に…」という思いがあるかどうか。
主は、私たちの「絶対に」を軽々超える事が出来るお方です。
自分の中にある「絶対に」という思い。
その思いが、自分の人生の時計を止めてしまい、
同じところをグルグルと彷徨っているかもしれません。
主はその状態を望まれていません。
私たちが幸せに生きていく事を望まれています。
自分の中にある「絶対に」…という思い、
主の前に注ぎだし、自分が超える事ができない限界を、主によって超える事が出来ます!!
自分の時間を止めてしまっている部分が無いかどうか、祈ってみようと思います!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」