わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
詩篇103:1-5
昨日、次男は学校で毎年1月にするマラソン大会でした。
次男は運動があまり得意ではないのですが、マラソンは少し得意なのです。
中学はバスケ部にいたのですが、高校は帰宅部。
全然運動をしていませんでした。
そして今年は授業の関係で、マラソン大会前に体育の授業が1回しかなく、
マラソンの練習を1回だけし、次の日は全身筋肉痛になっていました。
当日になり、筋肉痛は治ったものの明らかに練習不足。運動不足で臨みました。
毎年ある小学校からのマラソン大会。
ずっと順位を競っている友達がいます。
その友達に感化され、負けじと最後まで走ったそうです。
途中で疲れ歩きたくなるごとに
「〇〇!(自分の名前)頑張れ! 負けるな! 諦めるな!」と心の中で自分で自分を鼓舞したそうです。
結果、最後まで頑張れ、なかなか良い順位でゴール出来たそうです。
昨夜、この話を聞いてから、今朝聖書を読みました。
ダビデが書いたとされる詩篇103篇でした。
ダビデがいつ書いたのかは分からないようで、一般的には「ダビデの生涯全般にわたっての詩」と言われているようです。
ダビデの生涯…
ダビデは多くの祝福もありましたが、苦しい事も多くありました。
義理の父親でもあるサウル王に嫉妬され、命を狙われ続けました。
また自分の息子に王位を奪われるという事もありました。
ダビデは不平不満をこぼす事が容易い事だったと思います。
しかし、ダビデの賛歌は「感謝」が書かれています。
ダビデって凄いな~。高慢になることなく謙遜にサウルに仕えていたにも関わらず、
嫉妬され命を狙われ続けても、感謝出来るなんて!と思っていました。
しかし今朝、この詩編103篇を読んで、気付いた事があります。
ダビデは、「我が魂よ。主を褒めたたえよ」と言っています!
ダビデは辛い人生であっても、自然と主を見上げ、
自然と感謝出来る人ではなかったのかも…!
「我が魂よ」と言っています。
自分の魂に鼓舞しているのです。
感謝で満ちている時であれば、「我が魂よ。主を褒めたたえよ」と言わないと思います。
「主よ!感謝します!!主を褒めたたえます!!」だと思います。
次男が自分を鼓舞し、自分に諦めたらダメだ!と言い聞かせ、自分の苦しさを理由に諦めるという選択をせず、走り続けるという選択を自らするように…
ダビデも自分を奮い立たせ…
自分に向かって「我が魂よ!!」と語りかけ、
「(このような時でも)主よ褒めたたえよ!」
「主がして下さったことを忘れるな!」
感謝をすること、賛美をすることは、強い意志が必要な選択です。
自分が感じる感情に従って生きることは、楽かもしれません。
流されるがままに、感じるがままに、文句を言い、人のせいに、神のせいにして…
しかし、それらの行く着く先は「不信仰」です。
苦労の意味を悟ることなく、苦労だけをするのです。
しかし、ダビデのように自分が感じる感情、自分の目に写る現実、自分の置かれた場所などに
流されず、主を信頼し見上げるということを選択する者は、
時がくれば、苦労の意味、主の計画、主の愛まで、知ることが出来るのです。
流されず、ダビデのように苦しい時こそ、
「我が魂よ!!」と自分を奮い立たせたせる事を選択したいです!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」