主の大切な「土の器」【Ⅱコリント4:7】

2023年

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

Ⅱコリント4:7

今日は、次男の誕生日。16歳です。

今日は次男へのメッセージとなります。

15歳の1年は、主に凄く触られた1年でした。

信仰的に劇的な1年。

15歳の1年は、

主の時が満ち、次男に働いて下さった様に感じる1年でした。

主を感じ、主が今も生きておられ働かれていると次男が実感できる1年でした。(ブログ「主を知っていくって素晴らしい」)

誕生日を前に、16歳はどんな1年にしたい?と聞くと

「ワーシップチームを作りたい!!」

将来的にも、兄と一緒に教会に携わる仕事も考えているようです。

誕生日を前に、次男の祝福の祈りをしていたら「土の器」という単語が何度も思い出されました。

今日の御言葉はパウロが書いたものです。

私たちは「土の器」である。

聖書のいう「土の器」とは、もろく、また壊れやすいものでありながら、測り知れない宝が隠されているのです。

「土の器」とは、私たちのことであり、教会も意味していると思います。

「宝」とは、主であり、福音、救い、罪の赦し、主の栄光、主の愛、主が与えて下さるもの…

主から与えられた喜びであったり、祝福、使命、賛美…

もしかしたら、「試練」や「悲しみ」も宝の1つだと言えると思います。

煌びやかな高価な器とは違い、土の器は、落としてしまえばすぐに粉々になり、

何か堅いものにぶつかればすぐにヒビが入ってしまいます。

私たち人間はもろく、弱く、傷つきやすい存在…

しかし、主はそのような弱い私たちを器として選んでくださったのです。

「土の器」は、製作者の手により一つ一つ造られたもの。

製作者の思いが込めら、製作者の息がかかったもの。

私たちの中に「宝」を収めて下さるのです。

世の中的に土の器には価値がなくても、私たちは、喜びと誇りを持てるのです。

私たちの人生の器に宝を収めて下さる主によって、私たちは素晴らしく意味のある人生を送る事が出来るのです。

次男。自分は弱く、もろい存在だと常に記憶して欲しいです。

また、楽しく喜ばしいことだけが「主が下さる宝」ではなく、

辛く悲しいことも「主の祝福」であり、「主が下さる宝」なのです。

このようなことも、主の宝として、次男の器に大切に収めれるキリスト者になって欲しいです。

今日から始まる16歳の1年間。

主からの祝福を沢山、自分の土の器に収める時間となりますように!!

「主よ。あの土地を私たち(LOVE BIBLE)に与えて下さい!」

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