中途半端な人生を送っていないだろうか【マタイ16:13-16】

2023年

さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」

彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

マタイ16:13-16

仕事で病院にいると、色々な患者さんに会います。

同年代位の男性が入院されていた時、入院した当時は、かなり手をかける患者さんでした。

何度も何度もナースコールをしたり、「誰か来て~!」と叫び続けたり。

自分の状態が不安なんだと思います。

まだ死ぬには早いのに… こんな所で入院している場合じゃない…

早くここを出て社会生活をしたい! でも身体が言う事をきかない…

しないといけない事、したいと思っている事が沢山あるのに…

まだまだ倒れる訳にはいかないのです。

不安な気持ちが押し寄せ、騒いでいる様に感じます。

その患者さんとコミュニケーションを取る中で、

ある時、こんな話をされました。

「まだ死ぬわけにはいかない。今、死んだら俺の人生は中途半端だ」と何度も言われました。

中途半端な人生…

多分、誰もが志半ばで死を迎える。

大意を成し、我が人生に悔いなしと、この世を去る事が出来る人は少ないのではないでしょうか。

全ての人が大意がある訳ではないと思いますが、

人それぞれ、あれをしたい。どこどこに行ってみたい。あんな事を経験したい。こんな仕事をしたい。こんな風に生きたい…といった小さな願いや目標があると思います。

また逆に「自分の人生はこれでいいのか? このまま終わってしまって本当に良いのか? 何かをしなくては…」…という思いに駆られる事もあります。

どちらにしろ、人生を100%満足し、成し遂げる事は難しいですし、

大体、人生の終わりがいつやって来るかなど、誰もが分からない事なのです。

この男性が「俺の人生は中途半端だ」と言った言葉が頭に残っていました。

多分、殆どの人が中途半端な人生…

だったら、〇歳まで生きると分かっていれば、逆算して計画を立てれるかも。

しかし、死ぬと分かって生きるのも「どうせ死ぬのに…」と辛く虚しいものがあります。

何歳まで生きるのか主が私たちに教えられないのは、知らない方が良いという事だと思います。

私たちは、生きながらしたい事、欲しいものなど、増えていくのです。

どうすれば、中途半端な人生にならないんだろう…

中途半端でこの世を去るのは…本人も虚しさがあり、残された家族も悲しさが残ります。

どうすればいいんだろう…と考えを巡らせていると、

今日の御言葉が思い出されました。。

イエスさまが弟子たちに、「人々は私の事を誰だと言っているのか」と聞かれました。

「バプテスマのヨハネ。エリヤ。エレミヤ。また預言者の1人」だと答えました。

それらの答えはどれも正解ではなかったのです。

「あなたがたは、私を誰だと思うのか」と問われました。

ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答えたのです。

イエスさまは、群衆がどう思っているか、それに対して何も言われず、

「あなたがたは、私を誰だと思うのか」と聞かれたのです。

イエスさまはこの時、他の人の答えを気にされたのではなく、

「あなたは、どう思うのか?」という事を問われたのです。

自分の人生で本当に大切なことは、この問いかもしれません。

私とイエスさまの関係。

私にとってのイエスさまは、どのようなお方なのか。

何か、この世を去り主と再会できた時に、主が私に聞かれそうな気がしました。

「あなたは地上で生きながら、私を誰だと思っていたんだ?」

「あなたにとって、私はどのような存在なのか」

「あなたにとって、私は誰だ?」

私たちがイエスさまに出会った時、

「あなたは地上でどのような大意を成したのか?」

「どのような素晴らし事をして過ごしたのか?」…とは聞かれないと思います。

主の関心事は、一番大切な事は、

私たちが、この地上で何かを成し遂げる事ではなく、

十字架の命の道を、主と共に一筋の心で最期まで生き抜いたかどうか。

どの様な困難な事が起きても、主の手を離さず、主の御翼に守られていると信じ抜く事。

主が今も私と共に居られ導いて下さっているという信仰を持って生きる事。

…主と出会った時、

私は、心を込めて「主は私の救い主です」と告白できるだろうか。

もし今、与えられた人生を不平不満で生きていたら…

主にあった時、

「どうしてあの時! 私を助けてくれなかったんですか!」と言ってしまうように思います。

もしそうなったら…

与えられた人生の中で、自分にとって、主が誰かを知ることなく、

それこそ中途半端な人生を送った事になるのではないか…と思いました。

日々、主と向き合い、主が私にとってどういうお方なのか。

私と、どの様な関係があるお方なのか。

私はどの様な信仰告白が出来るだろうか。

命がある今から準備する必要があるように感じました。

今日も、主と共に時間を過ごし、主に満たされた一日となりますように!!

「主よ。あの土地を私たち(LOVE BIBLE)に与えて下さい!」

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