クリスチャンの注意点かも【箴言18:12】

2023年

人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。

箴言18:12

昨日、仕事で病院に行きました。

日勤の方から、夜勤勤務の私に日中にどのような事があったか「 申し送り」をしてくれます。

〇号室の〇さんは、何時間前から発熱なので病室に入る時、感染対策して入るように。

などという注意などを教えてくれるのです。

そして昨日の申し送りは、

「 今日さ、〇号室のAさんって言う人の財布がなくなったの」から始まり、

大騒ぎになったそうで、結局は、警察まで病室に来たそうです。

まだ財布は見つかっておらず、かなりAさんはご立腹。

緑色の財布らしいから気にかけておいて!と言われました。

それから夜勤業務が始まり、バタバタしていると、

「 すみません~💦」と小声で私に声を掛ける女性の患者さんが。

「 は~い! どうされました?」と聞くと

「 師長さんと話がしたいんですが…」

「 あ、今、師長が電話中ですので… お部屋でお待ち下さい。師長に伝えて行かせて頂きます。」というと

「 部屋じゃなくって、、面会室で話をしたい」と言われ

「 あーそうですか… すみません。お名前頂けますか?」というと

財布を無くしたAさんだったのです!

凄く低姿勢な話し方をされていたので、「 あ… 財布見つかったのかも…」と思いつつ、

電話が終わった師長さんに、Aさんが待ってると伝えました。

しばらくして師長さんが、看護師さんたちに「 財布見つかったらしいから…」と話されてました。

私は、あー、Aさん、バツ悪く感じてるだろうな~💦と思っていました。

そしてまたバタバタと仕事をすすめ、

起床時間の朝6時になり、

一人一人のベットの横にあるサイドテーブルなどを除菌シートで拭き、朝食に備えます。

順番に病室に入り、拭いていると、1人の方のサイドテーブルに聖書と賛美歌を発見!!

「 えー? クリスチャンなんだ!!」と嬉しく思いました。

話したい!と思ったのですが、まだ眠っておられ声をかけれませんでした。

「 わーここでクリスチャンと会えるなんて! 後で話に行こう!」と思い、

入院中にも聖書を持ってくるなんて、、

しかも、少し読み込んだ感じの聖書だったのです。

楽しみ~!と思い、順番に朝食の配膳をしていると、、

財布を無くした人が、聖書の持ち主だったのです!

「 え? Aさん、クリスチャンだったのか!」と思い。

「 Aさん〜 おはようございます〜!お食事です。ごゆっくりどうぞ!」とテーブルに朝ご飯を置くと、

「 もう朝なの…?」と言われ

「 あまり眠れませんでしたか?」と聞くと

「 そーね〜 寝れたのか寝れなかったのか…」と疲れた様子。

私が聖書を指差して「 これ…」というと

「 あ、聖書…?」

「 私もクリスチャンです!」というと、

顔がパッと明るくなり、にっこり微笑みながら「 感謝です!!」と私の手を取り握手をされました。
「 私も嬉しいです〜!」と。

そしてまたしばらくして、私がAさんの病室を通りかかると、Aさんが手招きをして私を呼ばれました。

そして、昨日の出来事を知ってるか聞かれました。

私「 私は昨日の夕方からの勤務なので、詳しいことはよく知らないです」というと、

A「 私、財布がなくなり、誰かに盗まれたと思って、大声で騒いでしまったのよね、、💦 もう恥ずかしい💦」

私「 財布が無事に見つかって良かったという話を聞きました。それ以降、看護師さんたちは財布の話をされてませんよ。気にしなくって大丈夫です!」

A「財布が見つかって、嬉しい気持ちより、騒いだ自分が恥ずかしく感じて…」

私「大切なものが無くなったと感じて不安になられたんだから、大丈夫ですよ。看護師さんたちも理解されてますよ」

A「それでね…昨日、あーもう恥ずかしい!と思ってたんだけど。師長さんが優しく大丈夫だと言ってくれて、少し安心していたんだけど…」

「今朝、あなたが自分がクリスチャンだと声をかけられて、クリスチャンに会えた嬉しさを感じた後に、私、昨日よりももっと恥ずかしくなったの…」

私「え…どうしてですか?」

A「上手く説明出来ないけれど… 自分が高慢だったと気付かされたの。信仰を持つ者として、自分のしたことが…」

私「何となく言われようとしている事が分かります。私はAさんよりもっと高慢ですよ(笑)… でも自分が高慢だと気付かされたのだったら、それは良かった事として受けとめられたらいいんじゃないですか~!(笑)」

「主が、私たちに教えたい事があるから、私たちを出会わせて下さったんですね!!」

…という事がありました。

読み込まれた聖書。

多分、主に忠実に生きようと、Aさんなりに、真面目に努力され信仰生活を送って来られたんだと思います。

もしかしたら、Aさんは自分に厳しい人だったのかもしれません。

でも… 自分に厳しく真面目で、主を悲しませたくない…

正しい選択をして生きよう!と努力する人は、

もしかしたら周りにも、知らずと厳しくなってしまうかもしれません。

自分が真面目に生きている分、自分は主を知らない人よりも、自分が「正」という意識が働いてしまうかも…

「私は信仰を持って生きている」という自尊心のような思い。

本当は「信仰を持つ」という表現は正しくないのかもしれません。

信仰は、自分が持てるものではないので。

信仰はもつものではなく、するもの。与えられるもの。

「私は主を信じている」という思いだったはず、

でもいつの間にか、

「私は信仰を持って生きている」と少しずつ、与えられたものという感謝な思いから

自尊心のようなものに変化してしまったのかも…

Aさんに出会えて良かった…

どの様な状態であっても、自分を取り巻く環境に心を奪われないようにする。

全てを見極める力のない私たちが、人を責めたり断定する事は良くない…

知らず知らずと、主を信仰する私たちは「正」だという錯覚を犯す可能性。

「信仰を持つ」という思い、純粋な思いからいつの間にか自尊心の様なものに変化する可能性。

主が低く生きられたように、私たちも低く(謙遜)生きる…

沢山、学ぶ事ができて感謝な一日でした。

今日も、主と共に歩む一日を選択してください!!

「主よ。あの土地を私たち(LOVE BIBLE)に与えて下さい!」

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