わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
マタイ6:29
今日の御言葉は、
イエスさまが弟子たちに話した言葉です。
イスラエルの国のソロモン王。栄華を極めた王であり、歴史上、最も富んだ王だと記録されています。
私は、この御言葉がいつも何となく不思議に思っていました。
ソロモンは、この世界で一番富んだ王でありながら、この世的には全てを手に入れたと言っても良い王でありながら、
どうして野に咲く花ほども着飾らなかったのか。
これは、単なるソロモンが謙遜であったとか、富に価値を持っていなかった。富に支配されていなかった。と教えているだけではないように感じていました。
…ある時、林文雄というクリスチャンの医師の話を知りました。
ハンセン病患者の救済に取り組んだ偉大な医師です。
林文雄先生は懸命に治療と研究に従事しながらも、虚しさに陥った時があったようです。
そしてある一人の患者との出会いが林先生に大きな影響を受けたようです。
その患者さんは、末期のハンセン病。
手も足も顔も原型からは大きく崩れ、見るからに目を覆いたくなる姿。
しかしその患者さんは、毎日、机の上に置かれた聖書を静かに読んで過ごしていたようです。
そしてその患者さんは、いつも笑顔が絶えることなかったようです。
人間的な目では、この患者さんは絶望的では無いでしょうか。
確実に自分は死に向かって時間を過ごしているのです。
たった一人、狭い病室で死を待っているのです。
もう死から逃れる事が出来ない状態なのです。
彼を励ます者もいなければ、彼に寄り添う者もいないのです。
人々に忘れられ、
たった一人で死に向かっているのです。
自暴自棄になっても可笑しくないのに…
林先生はこの患者さんに心が惹かれたそうです。
そして林先生は、改めて聖書を読み始めたそうです。
林先生は聖書を通して、霊の目が開かれ、自分に与えた使命感を新たに持つ事が出来たそうです。
そうして、林先生は再び、医師として大きな働きに携わる事が出来たのです。
朽ち行く命でさえ、主は用いられる。
朽ち行く命でさえ、主を証しすることが出来る。
朽ち行く命でさえ、信仰を継承する事が出来る。
朽ち行く命でさえ、キリストの香りを放つ事が出来る。
主の目から見て、
私たち人間は、何を持っているか。どのような業績を残したのか。有名かどうか。人に認められているかどうか。評価を得ているか。
このようなものが重要ではないようです。
着飾らないソロモンの姿を通して、
私たちが思い悩む原因は、
自分を大きく見せようとする心や、美しく見せようとする心、立派に見せようとする心などから来るものかもしれません。
主は、富や業績、容姿や成功と言った自分を着飾った姿ではなく、
私たちの命そのものを見ておられるんだと思います。
私たちの命… それそのものを主は「美しい」と言われました。
たとえこのハンセン病の患者さんのような、
誰からも目を留めてもらえず、
何も出来ない小さな存在であっても、
身を小さくしてでしか生きていくことができない者であっても、
たとえ自分を飾るものが何一つなくても、
イエスさまは「 私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している(イザヤ43:4)」と言って下さっています。
ソロモン王は、主は自分の命を見られるお方だと知っていたんだと思います。
自分に与えられた命をどのように使っているか。
「あれがない」「これがない」と、不平不満を口にして生きているのか。
人と比べて「自分は劣っている」と、自分の価値を勝手に下げて生きているのか。
「〇〇のせいで…」と嘆いて人生を生きているのか。
自分に与えられた環境を嘆いて生きているのか。
…私は、どの様に生きているんだろう…
私は、主の目にどのように映っているんだろう…
ハンセン病末期の患者さんでさえ、人に感動を与え、心を動かし、信仰を継承するという働きが出来る。
私は何をしているんだろう…
私は自分の命を何のために燃やしているんだろう…
自分の生き方について、立ち止まって祈り、考える時間を持とうと示されました。
今日も、主と時間を共にお過ごしください!!
「主よ。あの土地を私たち(LOVE BIBLE)に与えて下さい!」