イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」
ヨハネ20:21-22
日々の生活を送りながら、
ため息ばかりが出ることはないですか?
頭を悩ませる問題が1つではなかったり、
考えないといけない事、決めないといけない事、一歩踏み出さないといけない事…
しないといけない事が沢山あり、
どこから手を付けて良いのか分からない。
人から言われた事が気になり頭から離れない。
気になる出来事が沢山あり、考えがまとまらない。
自分の感情が複雑に入り混じり、頭も心も整理ができず、どうしていいか分からない。
この気持ちを何と伝えて良いのか分からない…
どうして良いのか分からない!!という状況に追い込まれた事、あると思います。
弟子たちもこのような状況に追い込まれた事がありました。
イエスさまが十字架で亡くなり、3日目に復活された日に!…です。
マリヤがお墓に行き、復活されたイエスさまに出会いました。そしてそれを弟子たちに伝えたのです。
それを聞いた弟子たちはどうしたでしょうか。
大好きで尊敬していたイエスさまが復活されたのです。喜んで会いに行っても良いと思いませんか。
しかし弟子たちは家に集まり、戸を閉め、隠れていたのです。
どうして大好きなイエスさまに会いに行かなかったのでしょうか。
もしくは、イエスさまが復活した!という話を聞いて、
イエスさまが「3日目に復活する」という意味を悟り、真っ先に家を出て、喜んで多くの人に主の復活を証ししても良さそうではないでしょうか。
しかし、弟子たちは隠れていたのです。
1人で隠れるのではなく、集まって隠れていたのです。
弟子たちの感情は複雑だったのです。
大好きで尊敬するイエスさま。弟子たちは自分の仕事を辞め、従うと決めたイエスさま。
イエスさまがローマ兵に捕まった時、弟子たちは逃げてしまったのです。
誰一人、主のもとに留まり、共に主の十字架の道を歩む者はいなかった。
主を愛していると告白しながら、自分の命の危険時には主を見捨ててしまったのです。
外では、ローマ兵がイエスの弟子をまだ探しているかもしれない。
ローマ兵に見つかったら、殺されるかもしれない…という恐れもありました。
弟子たちは自分の弱さを知りました。
自分の罪深さも知りました。
自分の卑怯さも、口先だけの信仰告白だったという事も知ったのです。
弟子たちの頭の中は、色々な思いが交差し、どうして良いのか分からない状態に陥ったのです。
弟子たちは、主の復活に対する喜びの声を失い、
そして弟子たちは「隠れる」という事を選びました。
何をどのようにして良いのか分からない弟子たちの息苦しさを感じます。
主は、そんな弟子たちに現れたのです。
そしてそんな弟子たちへの第一声は「平安があなた方にあるように」
イエスさまは、手とわき腹を弟子たちに示されたのです。
それを見た弟子たちは ‟喜んだ” と記録されています。
手とわき腹を見て、あの十字架に架かった主が生き返られ、今目の前にいる…という事が実感したんだと思います。
そして主はもう一度「平安があなた方にあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と言われました。
そして弟子たちに息を吹きかけ「聖霊を受けなさい」と言われたのです。
言葉に出来ない複雑な思いに飲まれている弟子たちに、主は赦し、慰め、希望を与えられたのです。
「弟子たちに息を吹きかけた」とあります。
私たち人間が創造された時、主が息を吹きかけて下さり命が宿りました。
自分がどうする事も出来なくなり、どうしたら良いのかも分からなくなり、翻弄している弟子たち。
部屋に鍵をかけ、外とのつながりをシャットアウトした状態の弟子たち。
弟子たちは与えられた命を生き損なっていたのです。
そんな弟子たちを見て、主はもう一度、息を吹きかけて下さり、命を与えて下さったのです。
私たちも、この弟子たちのように、どうしたら良いのか分からなく、生きる事に疲れる事があります。
私たちの心の中にも様々な思いが渦巻き、その思いを声に出す事が出来ない程、苦しく感じる事があるのです。
イエスさまは、そんな弟子たちに心を痛め、
鍵をかけていたにも関わらず、壁を超え、弟子たちの真ん中に立たれました。
主は、私たちも助けて下さいます。
私たちを閉じ込める壁を越え、助けて下さるのです。
そして、疲れ切った私たちにも息を吹き込んで下さるのです。
聖書を読み、賛美を捧げ、祈りましょう!!
主が、私を閉じ込めている壁を超えて語って下さいます。
今日も、主に息を吹き込んでもらい、主に満たされた一日をお過ごしください!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」