互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
コロサイ3:13
イエスさまはどうして十字架に架かって亡くなったんだろう…
私たちの罪を許す為。
罪のない神の子イエスキリストが身代わりとなって下さった。
私たちの罪を許す為に、神さまはひとり子を遣わされた。
イエスさまは、十字架に架かる為に人間の姿で生まれてこられた。
イエスさまが亡くなる前に言われた言葉。
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
イエスさまは父に捨てられた。
他に方法はなかったのかな…と考えたりします。
でも愛している人間の罪を許す為に、神の御国に入る為に、それしか方法がなかったんだ…
私たちの罪を許す為には、我が子が十字架で血を流すしか選択肢がなかったんだ…
どんな気持ちだったんだろう…と考えている時、
アメリカのペンシルベニア州にある「アーミッシュ」を思い出しました。
プロテスタントのコミュニティであり聖書に基づいて生活している共同体。
移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をし、パソコンやスマホ、車などを保持しない生活を送っています。
「絶対非暴力主義」のアーミッシュは、戦争や訴訟にも反対を貫きます。
聖書の記述を根拠とし、徹底的に誰かと戦うことを拒否しています。
そんなアーミッシュの学校で、2006年に銃乱射という残酷な事件が起きました。
近所に住む当時32歳の男性が銃を持って押し入り発砲。
5人の女子が亡くなり、5人が重軽傷。
男性は発砲後に自殺。
戦いや争いから離れたコミュニティで生活をしているアーミッシュ。
この事件において、アーミッシュの取った態度が世界中のメディアで大きく報道されたようです。
幼い子5人を亡くしたアーミッシュたちは、自殺した犯人と、その遺族を許すことを表明し、
アーミッシュたちは、犯人の奥さんを慰め、犯人のお葬式に参列したそうです。
アーミッシュの対応において、世界中で議論があったようです。
攻撃されれば攻撃し返すのが当たり前の世の中において、攻撃に対して「許し」、攻撃した相手を「愛する」という方法で返したのです。
記者たちが聞いたのです。
「どうして自分たちを傷つけた人達を許す事が出来るのか。」
アーミッシュたちの答えは「私たちには、許し以外の他の選択肢がありません」
許す以外の選択肢がないのです…
神さまもイエスさまも、私たちを許すという選択肢以外の選択肢がなかったんだ…
私はどうだろう…
神の子イエスキリストが、私を愛するが故、許すという選択肢しかなく、神さまがひとり子を与えて下さり、許された私たち。
これ以上大きな許しはない…
それ程の許しを得ているのに、私たちは人を許せない時があるのです。
アーミッシュの人達が、犯人を許し慰め、愛せば、心の痛みはなくなるのでしょうか。
同じ人間ですから、心は痛むはずです。
悲しみの涙が尽きる事はないはずです。
許す許さないの葛藤もあるはずです。
葛藤しながらであっても、「許す以外の選択肢がない」ので、許すという事を選択したのです。
主に途轍もない許しを得ているという事を、日々感じているからだと思います。
亡くなった13歳の女の子は、自分より小さい子を守ろうと
犯人に対して「私を先に撃って!」と訴え、即死。
その妹も「次は私!」と続いたそうです。
主は、私たちを許すという選択肢しかなかった。だからひとり子が十字架で亡くなったのです。
私は… まだまだ十字架の重みを分かっていないように感じました。
本当に十字架の重みを分かっているならば、私も人を許すという選択肢しかないはずです。
自分の欲を手放すという選択肢しかないはず。
全てを主に委ねると言う選択肢しかないはず。
私はまだまだ…です。
今日は、悔い改めの祈りをします。
主にあって平安な一日をお過ごしください!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」