どうして試練は続くのか【Ⅰコリント1:18-19】

2022年

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。

Ⅰコリント1:18-19

人生ってなんか、堂々巡りの様な気がしませんか?

良い事もあれば、嫌な事もある。

やっと嵐が過ぎたと思っても、数ヶ月、数年したら、また大きな嵐がやってくる。

イエスさまを信じても、信じなくても、この堂々巡りは同じです。

クリスチャンになってもならなくても、同じ。

では、私たちはどうして、何の為に信仰するのでしょうか。

 

私たちは主に出会い、罪からの解放を得たように、

イスラエルの民も、エジプトでの長い奴隷生活から解放されました。

私たちは神の子とされ御国に向かって歩むように、

イスラエルの民も、約束された地を目指す旅をしたのです。

私たちは罪の赦しと永遠の命と言う約束を握りながらも、苦難に遭うのです。

イスラエルの民も、主から祝福の約束を得ながら、何度も何度も苦難に遭いました。

まず、エジプトのファラオ王の元を去って直ぐに、ファラオの軍隊が追ってきました。

イスラエルの民の目の前は海。万事休す的な、自分で解決できない試練を経験しました。

次に、シナイ山を目指し歩き続け、のどの渇きと空腹という死活問題にも直面しました。

モーセがシナイ山に登っている間、自分たちのリーダーが帰って来ないかもしれないという不安に駆られました。

アマレク人との戦いもありました。

カナンの地に偵察に行き、自分達よりもはるかに大きな人たちに怯えました。

カナンの地に入る為に、ヨルダン川を渡らなくてはいけませんでした。

エリコの城壁も彼らの前に立ちはだかりました。

主は、イスラエルの民に祝福を約束しながらも、何度も何度もイスラエルの民は困難に遭い、恐怖に怯える経験をしました。

奴隷であった民を、どうして直ぐに良く肥えた地に導かず、このような試練を次から次へと与えられたのでしょうか。

民が主を信じ切れなかったからです。

不信仰だったのです。

これらの困難を前に、自分たちの力には限界がある。

自分の力で解決できない事がある…と悟って欲しかったのです。

主は民に、試練を与えられ「自分たちは無力だ」「自分で何一つ出来ない」という事を痛感して欲しかったのです。

自分で克服できない、自分で解決できない…

どんなに頑張った所で自分には方法がないんだ…

主に依り頼むしか方法がないんだと、心底痛感して欲しかったのだと思います。

主は、民に試練を与えられましたが、それを黙ってごらんにはなられませんでした。

不信仰であっても、愛するイスラエルの民に対して、

暑さから民を守る「雲の柱」を与え、

寒さから民を守る「火の柱」を与えられました。

マナも肉も水も、毎日不足なく与えられました。

戦いの経験がない民に対して、祈りによって勝利をする経験を下さいました。

エリコの城壁も、主に言われた通り、7度周り時の声を上げ、強固な城壁が崩れ落ちる経験をさせて下さいました。

私たちが感じる、堂々巡り…

「自分で出来る」「自分で解決できる」という思いがあるからかもしれません。

主がその思いを砕こうと、

私に頼りなさい。

私を求めなさい。

私のもとに来なさい。

と言われているんだと思います。

戦ったことがない戦いさえ、祈りによって勝利できる。

どんなに強固な壁でさえ、主への祈りは勝てない…

主はこれを教えたいのです。

目の前にやってくる問題、困難は、主からのメッセージなのです。

問題が私を覆う時、

「主よ。助けて下さい。私には何も出来ませんが、主は可能であることに感謝します。」

主に示されたら、直ぐに降伏しましょう!

祈りによって自分では出来ない事も、主には可能であるという事を体験する事ができますように!

またそれを信じる信仰をお与えください!

今日も、主と共に時間を過ごし、主をもっと知る1日となりますように…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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