門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
ヨハネ10:3-4
仕事の帰り電車に乗っていました。
隣の若い女の人たちが、今朝テレビでみた「今日の運勢」について話をしていました。
一人の人が「今日は、〇〇座が1位だったの!」と喜んでいました。
そして「ラッキーアイテムは私の好きな黄色!」と更に声が喜んでいました。
続けて「私、占いは良い事を言われた時だけを信じるようにしてる(笑)」と言っていました。
時々、耳にする言葉です。
「占いは良い事だけを信じる」という言葉、どの様な印象を受けますか?
何となく、人生は全て選択だから、良いものは自分に取り入れるし、悪い事は取り入れないようにしてる!
自分で良いものを選び取っているようなイメージ。
自分の人生を積極的に良い方向へ向けよう。悪いと言われる事に振り回されないように気を付けている。という風に聞こえます。
どことなく、積極的に前向きに生きているようにも感じます。
だから「占いは良い事だけを信じる」という言葉、変な言葉には感じないのです。
どんな人であっても、悪い事より、良い方を受け取りたいのです。
エレミヤ書27-28章を見ると、こんな話があります。
ユダの国に、エレミヤと言う予言者と、ハナヌヤという予言者がいました。
2人は神殿で、祭司や民たちを前にして「主の御告げ」を語ったのです。
ハナヌヤは「主はバビロンの王の軛(くびき)を打ち砕く。2年の内に神殿から略奪された器具と捕虜された者たちを帰らせる」といい、
エレミヤは「バビロンの王に仕えて生きよ。神殿の器具はバビロンに運ばれるが、主が顧みる日までそこに保管される。しかし時が来ればそれらを元の場所(エルサレム)に帰らせる」と言いました。
ハナヌヤは「平安の預言」であり、エレミヤは「裁きの預言」だと言われています。
対決するかのように、2人が群衆の前で語れば、人々はどちらを信じるでしょうか。
どちらを信じたい…と心が動くでしょうか。
この当時、主の預言者が遣わされる時は、戦いや災い、疫病などを通して悔い改めを促すものが一般的だったのです。
にも拘らず、人々は自分の耳に優しい、聞きたい言葉の方に心が動かされたのです。
続けてエレミヤが預言しました。
「民に偽りの希望を抱かせた罪により、今年中にハナヌヤは死ぬ」といい、
偽預言者の代表格であったハナヌヤは、2か月後に死にました。
私たちは、自分の耳障りの良い言葉ではなく、主の言葉を選ばないといけないのです。
どの様にすれば、「主の言葉」と「偽りの言葉」を区別出来のでしょうか?
今日の御言葉をみると、
羊は牧者の声を知っているという事が分かります。
どうして、羊は牧者の言葉を知っているのでしょうか。
「今日から僕が、君たちの牧者だよ!」と突然現れた牧者ではなく、
羊は、牧者と共に時間を過ごし、危険な時に守ってもらい、食べ物が多くある場所へと導いてもらった経験があるから、牧者の声が分かるのです。
普段から、主との十分な交わりがあれば、私たちは主の声を聞き分けられるという事です。
主との十分な交わり。
聖書を読み、そこから祈り黙想し、賛美を捧げるのです。
日々忙しく、「十分な交わりをする時間がない(心に余裕がない)」と思うと思います。
でもね。
想像して下さい。
牧者の声を知らずに(聞き分けれない状態)羊が日々の食事を求め、外に出たらどうでしょう。
不安が付きまとうものです。
いつ敵が現われるか分かりません。
もし敵が現われたら、自分を守ってくれる牧者はいないのです。
不安な思いを持ちながら、日々の食事を求めて歩きまわるのです。
羊の心は平安とはかけ離れています。
不安な思いで生きて行かないといけないのです。
私たちが牧者の声を知らないのは、牧者の声を知らない羊と同じ状態です。
牧者の声を知らずに、世の中に出ていけば、平安は愚か、不安でしかないのです。
何よりもまず、私たちがしないといけないのは、自分の牧者の声を知るという事です。
占いのように「良い言葉だけ」「耳障りが良い事」だけ、を受け入れるのではなく、
「主の言葉」だけを受け入れないといけないのです。
受け入れる基準は、自分の耳に心地よいか、ではなく、
「主の言葉」かどうか…です!
また、忘れてはならないのは、
耳障りな事や嫌だなと思う事を語らえたとしても、
私たちが信仰を持ち、主の語りかけに耳を傾け悔い改めていけば、
主は私たちの信仰に答えて下さいます。
嫌だなと思う事も、私にとっては祝福へとつながるものなのです。
今日も、まずするべきである「牧者の声を知る」という事をする事が出来ますように!
今日もまず、主を選び、1日をスタートする事ができますように!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」