それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイ28:19-20
昨夜、韓国にいる長男からラインが来ました。
「こんな時って、どう祈れば良いんだろう…」って。
軍隊で一緒になった先輩のお母さんが突然亡くなり、今からお葬式に行ってくると。
話を聞くと、連絡をくれた先輩は長男より2才年上の23歳。
弟と2人兄弟で、弟はまだ高校生。
自分の年齢と弟の年齢も似た状況だったので、長男も驚きショックを受けた様子。
家族葬だったにも関わらず、先輩が長男だけには来てもらいたいと連絡をくれ、
「母親が突然亡くなって、誰よりまず長男を思い出した」と言ってもらったそうです。
急いで長男にラインで祈りの文を返信しました。
お葬式から帰り道、長男からラインで「先輩は、‟大丈夫… また立ち上がる” と、何度も繰り返し言ってた」と言うのです。
このような出来事。
本当に心が痛み、苦しく感じます。
この先輩のお母さん、まだまだ若かっただろうし、次男くんは高校生。
どうしてこんなに早く主は、彼らの母を呼ばれたのだろう…と思います。
人間の人生は、本当に人それぞれで、
命の長さも人それぞれ…
どうしてなんでしょう。
預言者エレミヤは、主が示して下さった通り大胆にイスラエルの民に対して、「主の御声に従いなさい。悔い改めなさい。このままでは神の怒りが下る」と伝えると、
宗教指導者は、エレミヤを殺そうとしました。
エレミヤは主の御心に従ったのに、困難や苦しみ、身の危険に遭ったのです。
しかし、首長や民はエレミヤを保護し弁明しました。
またエレミヤと同じ預言者、ウリヤもエレミヤと全く同じ預言をしていたのです。
2人とも主に従い同じ予言をしたにも関わらず、
ウリヤは殺され、エレミヤは保護する人が現われ、殺される事はなかったのです。
同じように主に従い、同じ預言を大胆に伝えたのに、一人は殉教し、一人は主の守りを経験したのです。
理不尽ではないでしょうか。
不公平ではないでしょうか。
どうして主がこのようにされたのか、私たちには分からない…
ただ分かっている事は、
主には計画があるという事です。
主には人それぞれに与えられた使命があるという事です。
主の計画により、その使命を全うしたウリヤと、まだ使命が残っているエレミヤだったんだと思います。
ウリヤは使命を全うし、神の国に凱旋したのです。
人間的な目で見れば、1人は殺され、1人は生かされ守られた。と感じるかもしれません。
しかし、凱旋は1つの祝福でもあると思います。
私たちは死を経験した事がないので、不安や恐れを感じてしまい、それを良くないもののように思ってしまいます。
しかしよく考えてみると、神のもとに行けるのです。
ウリヤは、主の平安と愛に包まれ、安らかに主と共に永遠に生きる事ができるスタートに立てたのです。
私たちが、今日も生かされているのは、まだ全うすべき使命が残っているという事です。
主は、全ての神の民に与えた「共通の使命」があります。
それは「地の塩、世の光」となること。
「行って、すべての民をキリストの弟子にする」という最高の使命です。
使命を遂行する方法は、人それぞれです。
何百人、何千人を前に福音を伝えるという使命を受けた者もいれば、
与えられた隣人を愛し、福音を伝える使命もあるのです。
あるアメリカ人の牧師先生が「目の前の必要が召命だ」と言われたのを聞いた事があります。
「目の前に、何かを必要としている人がいて、その必要が自分を通して満たせるなら、100パーセント召しと思いなさい」ということです。
今日、私たちには命が与えられています。
私たちはまだ使命を全う出来ていないのです。
自分の使命について、考える一日としたいです。
今日も、主と共に歩み、主に従う一日となりますように…!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」