キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。
この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
ローマ16:3-4
今日の御言葉はローマ書の最後の章です。
沢山の人の名前が羅列されています。
15章の終わりで、「平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。」と言って、この手紙を終えようしていました。
なのに、パウロはもう一章書いているのです。
16章を読むと少しパウロの人間らしさというか、聖書は「これは本当に手紙だったんだな~」と感じます。
一通り話をし終え「じゃ、またね」と一旦別れの挨拶をしたのに、また「あ、そうそう・・」と話し込む事ってありますよね。
16章は、「あ、そうそう」という感じがします。パウロがローマにいる聖徒たちに対して、親しみを持ち関係を持っていたように感じます。
16章に挙げられている名前は「パウロの同労者たちの記録」です。
沢山の名前の中から心に止まったのは「プリスカ(妻)とアクラ(夫)」です。
この夫婦の名前は聖書に6回出てきます。
もともとローマに住むユダヤ人でしたが、あるきっかけでローマを追放され、コリントに移り住んだ時にパウロと知り合いました。
パウロは伝道をしながら天幕作りの仕事を持っていました。この夫婦も同業者だったのです。パウロはこの夫婦の家に住み、共に活動していました。
パウロがコリントを離れエペソに行く時、この夫婦も同行しています。
2人は家を開放し、主の御名によって人々を集め福音を語り、信徒として主の働きとして「家で教会」をしていたのです。
夫婦はエペソに留まっている間、パウロはエルサレムに向かいました。他国を経て再び、夫婦がいるエペソに戻ってきました。
パウロが戻る前に、この夫婦はユダヤ人の伝道者「アポロ」と知り合いました。
「彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたブリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に説明した。(使徒18:26)」
アポロは旧約聖書に精通しており、熱心に正確にイエスさまについて語っていました。しかしまだ、「バプテスマ」について知らなかったのです。
プリスキラとアクラは、アポロをの大胆に語る姿を見て、「彼を招き入れ」たと記録されています。
そしてアポロをもてなし、バプテスマについて語り、神の道を解き明かしたのです。
公衆の面前でアポロに批判したのではなく、
人目につかない所(家)に呼び、アポロが知らない主について、救いについてアポロに伝えたのです。
この使徒18:26だけを読んでも、この夫婦の人格の素晴らしさが分かります。
私たちは、直ぐに論破しようとします。
直ぐに自分が正しいと思う心、自分が勝とうとする心が作動するのです💦
このプリスキラとアクラの姿を見て、クリスチャンはこうあるべきではないかと感じました。
真の正しい正解は、主だけが持っているからです。
この夫婦は、愛を持って伝道師を教えたのです。
そしてアポロはより素晴らしい福音を持って伝道者として羽ばたくのです。
簡単に言えば、信徒が牧師を教育したのです・・
プリスキラとアクラがとった行動は、アポロを正そう!という思いではなく、
主の福音が多くの人に伝えられるように、救いが広がるように、アポロが用いられるように・・という思いを持っての行動です。
プリスキラとアクラがローマに住んでいた頃、当時のローマ皇帝が、全てのユダヤ人をローマから退去命令を出し、夫妻はローマから追放されたのです。
これは二人にとって思ってもない出来事であり、辛い試練だったと思います。
しかしこの苦しみや試練を通して、2人はコリントへ導かれパウロと出会ったのです。この2人がいつクリスチャンになったのかは記録されていませんが、
パウロと出会った影響は大きく、「家で教会」をする程、信仰が成長したんだと思います。
プリスカとアクラは、伝道者ではなく信徒です。
しかし、聖書に何度も名前が書かれ、パウロが書いた手紙にも3度名前が出てきます。
パウロが「同労者」だという働きを2人はしたのです。
信徒として最高の働きを全うし、生涯を過ごしたのではないかと思います。
辛い思いでコリントに身を寄せ、伝道者パウロに出会い、パウロを支え共に主の働きをしたのです。
私たちの人生に、偶然とか意味と目的のない試練はないのです。
主は、私たちの人生の歴史の中、この世界の歴史の中に働いておられるのです。
今日も、主の中を歩みましょう。
試練の中を通る時も、主を信頼し、主と共に前進する一日をお過ごしください!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」