自分から船を降りる信仰【マタイ14:28-32】

2023年

すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」

イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。

ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ、助けてください」と言った。

そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」

そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。

マタイ14:28-32

何度も聞いた事のある聖書の箇所。

ペテロがイエスさまに「もし、イエスさまだったら行きます」と言い、水の上を歩いたのです。

今日ふと、「どうしてペテロは水の上を歩こうと思ったのだろう・・」と不思議に思いました。

この時、湖は吹きまくる強風に荒れていたのです。

岸から漕ぎ出て4-5キロ出た所で、前にも後ろにも進めない状態だったのです。

時間は夜中の3時。真っ暗です。

そこにイエスさまが湖の上を歩いて現われたのです。弟子たちは皆、幽霊だと思い、叫び声をあげたと記録されてあります。

いつ舟が嵐に飲まれ、沈没するか分からない状態。

お腹も空き疲れ果てている時に、幽霊だと思うものを目にし、怯え切ったと書かれています。

そこでイエスさまが「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われたのです。

・・・私だったら・・

「イエスさま!助けて下さい!今にも沈みそうです!早く来てください!」と叫びそうです。

他の弟子たち同様、ペテロも体力的にも精神的にも限界で、命の危機も感じている中、、

荒れた湖の上を歩くことを選んだのです。

静かな水の上ではなく、荒れ狂う水の上。しかも辺りは真っ暗。

ペテロにとって、目に写る状況は関係なかったのです。

本当にイエス様かどうか、試そう思って実験をした訳ではないのです。

ペテロは目の前にいるイエスさまのもとに行きたかったのです。

誰が、荒れた湖の上を歩いて、主のもとに行きたいという思いを持つのでしょうか。

・・もし私がこの場にいて、主が来なさいと言われても怖く感じためらってしまうと思います。

ペテロは主が来られるのを待つのではなく、自ら主のもとに行く事を選択したのです。

イエスさまに会いたい・・一刻も早くイエスさまのもとに行きたい・・その思いが強く、自分の置かれている状況は、自分の主に対する思いを止める問題とならなかったのです。

ペテロ・・・カッコよくないですか?

風を見て、こわくなり、沈みかけましたが・・・その結果より、ペテロの主に会いたい!主のもとに行きたい!という思い・・主への愛情、主への信仰が素晴らしいと思いました。

ペテロはいつもいの一番で、主のもとに駆け寄る姿が聖書に記されています。

私たちも、時にはこの荒れ狂う湖のように、二進も三進も行かない状況に身を置かないといけない状況に陥る事があります。

自分の目に写る状況に心が支配され、主が助けに来てくださっている事に気が付いていないかもしれません。

自分が感じる状況に心が支配され、主を待ち望み、主が来られるのを待っているだけかもしれません。

時にはペテロのように自ら主のもとに一歩踏み出してみる・・という信仰も大切だと思いました。

自分の目に写る、自分が感じる現実とは関係なく、主は私と共におられるのです。

落胆し恐れ、悲しくなって船の中で泣いて主を待ち望むだけでなく、自分から船を降り、主のもとに行こう・・!

ああ・・・主を待ち望むだけでなく、ペテロのような自らが主のもとに行く信仰を持ちたい・・

一歩踏み出すクリスチャンになりたいです。

今日も聖書を読み、賛美し祈る時間を持ちたいです。

今日も、主の愛に包まれた一日をお過ごしください!

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