自分の事として受け止めていますか【ルカ2:25-26】

2023年

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。

また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。

ルカ2:25-26

今日の御言葉の箇所に心に留まりました。

イエスさまが誕生して40日が過ぎた時、

両親のヨセフとマリヤが「幼子を主にささげる」為、「母マリアの清め」の為に、エルサレムの神殿に上がった時の話です。(出エジプト13、レビ12)

その時にシメオンと言う人に会います。

シメオンは預言者だったという見方もあり、また祭司でもなく、律法学者でもなく、預言者でもなく、ただ一介の敬虔な信徒だという見方もあります。

シメオンに対しての記録がそれほどないのを見ると、モーセやパウロのように大きな事を大胆に行った人物ではなさそうです。

この個所から分かる事は、シメオンは、正しく敬虔な人です。

聖書に、「正しく敬虔な人であった」と記録される人って、どのような人なんだろう・・と心に留まりました。

当時の時代の人は、何百年も前から救い主が生まれるという予言がある事を知っていました。

常識的に、救い主が生まれるという事が周知されていたのです。

もし、私がその時代に生きていたら・・どう思っていただろう・・想像しました。

救い主が生まれる・・神の子・・・まず「一目会いたい・・」「近くで主を愛したい」「主に愛されていると実感したい」「弟子になりたい!」「近くに身を置き、沢山の事を学びたい」「神さまの思い、考え方、全てにおいて学びたい・・」

と考える様な気がします。

みなさんは、どうですか?

もしこの時代に生きていて、救い主が生まれると知っていたら・・どのような思いを持たれるでしょうか。

シメオンは、凄く凄くこの救い主を待っていたのです。

「主のキリストを見るまでは、決して死なない」という聖霊のお告げを受けていたのです。

聖霊さまが、わざわざお告げをしたのです。

シメオンが、救い主の誕生を切望していたのが分かります。

シメオンは救い主が生まれ、「イスラエルの慰められること」を待ち望んでいたのです。

私のように・・・主の近くにいたい・・主から学びたい・・というような、自分が何かを得たいという思いではなく、、、

イスラエルを思う心から、救い主の誕生を切望していたのです。

そう気づいた時・・・私って・・・💦

いつまでたっても自分中心です。自分が受ける事、自分が得る事を望んでしまうのです。

救い主が生まれ、メシヤが到来すると周知されていた社会のなかで、どれ程の人がイエスさまの誕生を切望して待っていたんだろう・・

多くの人はそれを知っていても、なかなかその時が来ないことに、現実味から離れていたかもしれません。

「いつかは分からないけれど、イスラエルに救い主が生まれるんだって・・」「へーそうなんだ」と言う思いだったかもしれません。

「次の総理大臣、〇〇なんだって」「へーそうなんだ」というような感覚。

多くの人にとって、救い主が生まれるという予言は、自分の出来事ではなかったのです。

シメオンにとって「救い主が生まれる」というのは、「自分の事」だったのです。

シメオンは、自分の事として救い主を待っていたのです。

私は・・・聖書を読みながらどれほど「自分の事」として受け止めているだろう・・

御言葉を読みながら、「この御言葉(この説教)あの人に伝えたい」と言うように、他の人の顔を思い出しながら読んでいないだろうか・・

聖書は他の誰でもなく、「自分に語られている神さまの言葉」だと、どれ程、現実味を持って読めているんだろう・・

また、聖書を読むと、この世には終わりの時があると書かれてます。

主が「再臨」されると書かれている事を、クリスチャンは知っています。

シメオンの時代のように、主の再臨の予言は、今の時代を生きるクリスチャンは周知しているのです。

しかし「へーそうなんだ・・」と受け止めてしまっているように思います。

いつくるか分からない、主の再臨。

この個所を読む前まで、私は、シメオンの時代の「救い主が生まれるんだって・・へーそうなんだ」と思っていた多くの人たちのように、

主の再臨に対して、自分の事として受け止め切れていない思いであったと示されました💦

シメオンのように、主の再臨を自分の事として受け止める必要があると感じました。

この世の終わる時がある。主がもう一度、この世に来られる時がある・・・

だから・・急いで早く伝道しましょう!!と言うより・・

緊張感をもって、積極的に伝道して行きたいな・・と思いました。

自分に任されているであろう隣人の救いに対して、本気で向き合いたいと思いました。

主が自分に望まれている伝道。

主に少しでも喜んでもらえる信仰、思い、行動を持って歩んで行きたい・・と思いました。

今日も、主と共に歩む、恵み深い一日をお過ごしください!

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