教会生活と社会生活とのバランス【Ⅰテモテ3:7】

2022年

教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。

Ⅰテモテ3:7

クリスチャンとして、会社で、社会で、ノンクリスチャンの友達と、、

どの様に接したらよいのか、悩んだりしませんか?

ノンクリスチャンと接する色んな局面で、悩むことがあると思います。

しかし、答えがあります! 主が望まれている答えが、聖書にちゃんと書かれています。

今日の御言葉です。

「教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。」

主は、私たちが教会の中だけでなく、社会の中でも、私たちが評判の良い人でいることを望まれています。

目指す答えは、これだと思います。

評判の良い人・・・ 「え? ずっと仮面をかぶり続けるの?」と思わないでください(笑)

クリスチャンが社会に出ると、悩みが出てきます。

例えば、一番悩むのは、付き合いのお酒ではないですか?

多くの教会ではお酒に対して否定的です。 私もお酒は飲まない方が良いと思っています。

お酒を飲んではいけないという御言葉はないと思いますが、

「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5:18)」という御言葉はあります。

酔わなければいいのか? という疑問もあるかもしれませんが、

お酒は、私たちのコントロールを簡単に奪う力を持っているのです。

コントロールできず、既にこの世にはアルコールに依存する人が溢れています。

私は、お酒は「罪に陥りやすい入り口」だと思っています。

私が会社で働いていた時も、もちろん打ち上げや忘年会、新年会など、さまざまなお酒の席がありました。

これが正解かどうかは分かりませんが、、、

私は、始めの乾杯の時、一緒にビールのコップを持ち乾杯し、お酒を口にしました。

そして、少しずつ時間をかけてコップ半分ぐらい飲んでいたら「もっと飲んでよ~!」と言われます。「もう、これで限界です(笑) これ以上飲んだら醜態をさらしてしまう(笑)」と言って、絶対に飲まないようにしました。

そして、テンションは高めで飲み会には参加します。まあ、無理してテンション高くする必要はないかもしれませんが。

共に時間を過ごす事は楽しいので・・

ちょっと高めで参加すれば「え?飲んでないのに、テンション高くない?」「これで十分!(笑)」

何度もすれば、「飲めない人」と理解してくれます。

私たちは、クリスチャンだから、「お酒は飲んだらダメ」「〇〇したらダメ」・・と、

私たちは社会に出ると、クリスチャンは肩身が狭く、窮屈だと思ってしまっています。

 

そうではなく・・・ クリスチャンとして、何ができるかを考える方が良いと思います。

クリスチャンだからこそ、裏表のない言葉や態度で、人と接する事ができるのではないでしょうか?

誰とでも分け隔てなく接し、一緒に仕事をする人に温かい一言をかけれるのではないでしょうか。

仕事をさぼったりせず、誠実に働くのです。

クリスチャンが、社会で肩身狭く考える必要はなく、堂々とするべきです。

クリスチャンであるという事は、誇るべき事だからです!

主は私たちのことを「世の光、地の塩(マタイ15:13-14)」と言われています。

何となく居心地が悪く、肩身の狭いクリスチャンではなく、私たちは世の光なのです。

クリスチャンだから、出来ない・・ではなく、

クリスチャンだから出来る! と思考を変えましょう!

クリスチャンだから、自分の人格を通して、「証」出来る存在になりたいですね!!

私は、クリスチャンが社会で存在する時、

「教会外の人々にも評判の良い人」が目指す方向だと思っています。

もちろん、教会内外で評判良くするために、繕った人生を歩むのではないです。

主との交わりを通し、主の香りを放つ者と変えられていく必要があります。

日々、交わりが必要であり、自分の中が変えられていく必要があるのです。

今日も、主と交わり、霊的な成長する日となりますように!

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