主に貸しをつくろう!【箴言19:17】

2022年

寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる。

箴言19:17

私たちが、主に「貸し」を作れるって知っていましたか?

「寄るべのない者」とは、貧しい者のことです。

貧しい者をあわれむ者は、主に貸しを作るという事。主がその善行に報いてくださるという事。

こういう御言葉を読むと、「聖書ってすごいな~」と思います。

貧しい人に善を施すという事は、実はその人にではなく、主に対して貸しをつくっていると書いてあります。

だから、善を施した人は、相手からお礼やお返しを求めてはならないのです。

その人にしたのではなく、主に対してした事なので。

聖書には、旧約聖書にも新約聖書にも、貧しい人に施すようにと書いてあります。

人間は、人の為に何かをすると、「ありがとう」というお礼を期待してしまいます。

その一言がないと、腹が立ったりもします。

主は、人間の本能や習性を、本当によくご存じですよね!

聖書の御言葉って本当に美しいと思います。

クリスチャンは、そうでない人に比べて、聖書の話を毎週聞き、聖書に触れる機会も多いです。

「貧しい人に施しなさい」と主が言われている事を、何度も聞いていると思います。

しかし、よく耳にするのは「もっと献金とか、貧しい人への支えとか出来たら良いんだけど」「貧しい人に施しできるように、まず(自分が)豊かにならないと!」「もっと豊かになったら、沢山困った人の助けをしたいと思ってる」

気持ちは、すっごく分かります(笑)

でも、どれほど豊かになったら出来るのでしょうか?

もし、今の収入に10万円、給料が上がったら・・・上がって直ぐは気持ちも豊かになると思いますが、数ヶ月経つと、10万円プラスが普通の生活になりますよね。「やっぱり10万円じゃたらない」ってなりますよね。

それが10万じゃなくて、50万、100万になったとしても、同じだと思います。

その金額にすぐ慣れてしまうのです。人間はもっと欲が出て、増えれば増えるほど「もっと欲しい」と思うのです。

・・・多分、「自分が豊かになったら」という考えでは、いつまでたっても貧しい人を支える人にはなれないと思います。

問題は、収入ではなく、「心が何処にあるか」だと思います。

主が何度も、貧しい人に、困難な人に対して施しをするように、書かれているのは、親が子に大切な事は何度も口を酸っぱくして言うように、主も本当に切に願っているから、何度も聖書にかかれているのではないでしょうか。

マルコの福音書にも、貧しいやもめが、全財産のレプタ銅貨2枚を献金し、それを見たイエスさまは弟子たちに「あの貧しいやもめは、誰よりも沢山献金しました(12:42-43)」と言われました。

主に仕えるというのは、自分の生活を確保した上で・・・という条件付きではないようです。

自分の心が何処にあるかです。自己安全と繁栄に気をとられていないでしょうか?

貧しい者に施しをするというのは、今、豊かであろうと、自分たちの家族だけでも生活が難しい状態であろうと・・・ 関係ないのです。

主に貸しを作りましょう!

「主が報いて下さる」と約束されているのです!!

主が、何度も何度も「貧しい人に対しての施し」をお願いされているのですから!

主に沢山、貸しを作りましょう~! 私は沢山作りたい(笑)

施しとは、何か金銭を与える、食事を与える、何かを買ってあげる・・・以外にも施せます。

温かい言葉をかける、関心を持つ、電話をしてみる、困っている人に手伝いをしてあげる・・・

沢山あるのです!

今日、私に何が出来るのか黙想しながら、過ごしたいと思います。

良き1日となりますように・・!

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