無条件の信仰を持ちたい・・・【ヨハネ14:1】

2022年

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

ヨハネ14:1

祈りが、なかなか答えられない時、問題が取り除かれない時、心の傷が癒されない時、

自分の思い通りに事が運ばない時・・・

「主は本当に居るのだろうか・・」「主は本当に存在するのだろうか」という事が頭を過ぎります。

そして、自分の祈りに答えてもらえない事に対して、怒りが出てくることもあります。

でも、よく考えたら、小さな子が「アレが欲しい」「コレが欲しい」と父親に願い、父親が時期尚早だと思えば、買い与えません。もっと必要性がでたら、その価値が分かる時に、もっと良いタイミングで与えたいと考えます。

幼い子どもは、「今」欲しいのです。生きてきた時間が短く、幼いが故、自分が成長した姿を創造さえも出来ないからです。

しかし親は、子どもよりもっと長く生きてきました。今の子どもには不必要で、上手く使用する事も出来ず、与える事によって、我が子が傷つく場合もあります。

父親は、子どもより長いスパンで物事を考えられるのです。

「今」でしか物事を判断出来ない子どもは、ねだっても与えられない事に腹を立て「それでも親なのか・・」「私には親がいないのかもしれない」と言えば・・どうですか?

私たちも、この幼児と同じ姿かもしれません。

全てが自分の思い通りになるのなら、信仰はいらないかもしれません。

人生でつまずくこともなく、死を恐れることもなのですから・・・

私たちにとって信仰とは、選び取る事だと思います。

自分の思い通りにいかなくて、全然理解できなくても、変わらず主を信じる。

今日も変わらず、主に感謝して生きる。 これは選択です。

自分の思い通りにならない時、主は見ておられると思います。

「それでも、あなたは私を信じますか?」と。

心が揺れてしまう時、私たちは自分の心が揺れすぎる前に、

主を信じると選択しましょう。主の手を握りましょう!

主が私たちを、無条件で愛されたように、私たちも主を無条件で信仰出来るようになりたいです。

今日も、主を選ぶ一日となりますように!

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