イエスは群集を呼び寄せて言われた。
「聞いて悟りなさい。口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。
マタイ15:10-11
今日、この聖句を読み、思い出した事があります。
私は、小学校に入った位に「どうして人間は、動物を殺して食べるんだろう。人間は動物より偉いのかな。人間が一番偉いのかな。」と、何年も考えた時期がありました。
私は、人間が食する為に動物を殺し、お肉を食べる事が、人間がすごく高慢なような気がしてなりませんでした。
小学校2-3年の時には「野菜も同じ命あるもの」と思いました。 しかし野菜は、人間が食べる為に育てたもの。と(都合よく)理解し、自然とベジタリアンになりました。
中高生ぐらいまでは、その様に思っていました。 家族がお肉を食べる事を何とも思いませんでしたが、自分が食べるのに抵抗を感じていました。
20代になって、教会へ通うようになって、聖書を読むようになりました。
始めに驚いたのは、創世記1章を読むと、神様が人間に「地をはうすべてのものを支配するように。」と言われています。 動物を支配するようにと書かれているのです。多分これは食べて良い。好きにして良い。というよりは、「管理」しなさい。という事なんだろうなと思い、読み進めると。
神は仰せられた。「見よ。わたしは、全治の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。(1:29)
と書いてあります。「やっぱり菜食主義者・・」と思いました。
でも聖書を読むと、いつの間にか人間はお肉を食べています。いつから食べ始めたんだろうと調べてみました。
ノアの箱舟以降、主は人間にお肉を与えられています。
それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。野の獣、空の鳥、—地の上を動くすべてのもの—それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。(創世記9:1-3)
「そっかー- お肉って食べても良いのか」と思いました。
それから数年経って、今日の御言葉に触れました。
「口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」
何を食べてもいいんだ。 主にとって、私たちが、何を食べるかが問題ではないと思いました。
主の関心事は、私たちの口から出るもの。 自分の口から出て、自分を汚す。何を食べるかより、自分の口により、自分を汚さないように気を付けなさいと言われている。
口からでる言葉とは、「自分の心にあるもの」が出てくるのです。
私たちは、日々色々な物を見たり、考えたり、気を配ったりします。
自分の心にあるもの・・・ 日常に流されずしっかり保つ必要があります。
日々、デボーションが大切です!
今日、自分で自分を汚すことがないように、祈りと御言葉で自分の心を整えましょう!
今日も、祝福された一日になりますように、お祈りいたします!