主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
詩編37:3-5
こんな話を聞いた事があります。
ある経済的に苦しい国に、日本からボランティア団体が行きました。
実際に行ってみると衛生的に問題が沢山あったようです。
ある街に大きな池がありました。その街の水源はその池のみでした。ですから生活に必要な水はその池から得ている状態でした。子どもが水浴びをしたり、池のほとりでは洗濯をしたり、また牛を洗ったりもしていました。用を足すためにその池に来る人もいるそうです。飲み水もその池から得たものを飲んでいました。
大雨が降ると、その池の水が溢れ、街はその水で覆われ、病気が発生していたのです。
衛生状態がかなり悪い状態だったのです。
ボランティア団体は、その街に井戸が必要と判断し、井戸を掘りました。
多くの人は、綺麗な水に喜び飲み水として喜ばれました。
しかし、数日すると驚く事がありました。
ある人たちは「この水は美味しくない!なんの味もしない!」と言って、以前の様に池から水を汲んで飲んだそうです。
この話を聞いた時は「え・・・? 本当にそんな話がある?? 信じられないな・・」と思いました。
が・・・直ぐに、あり得る話だな!!と思い直しました。
私たちは、罪赦され、バプテスマを授かり、神の子とされた時、私たちはどう思いましたか?
主から沢山の恵み・癒し・許しを頂き、感謝に溢れ、「これからは、主と共に人生を歩もう!」と思ったはずです。
しかし年月が経ち、私たちの生活はどうでしょうか? バプテスマを受けた時の感動が続いているでしょうか? あの時の思いを今も持ち続けているでしょうか?
「主と共に歩み、主の導きを得る一日を送ろう!」と思いつつも、自分で判断したり、自分の力で問題を解決に導こうと必死になったりしていませんか?
主を離れ自分で判断し、目の前の問題を解決しようと必死になる生活は、自ら「池の水」を飲みに行っている状態です。クリスチャンになる前の状態に戻ってしまっているのです。
今日の御言葉です。
『主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』
主に信頼せよと書かれています。あなたの道を主にゆだねよとも書かれています。
今日、もう一度、バプテスマを授かった喜びを思い出し、毎日「綺麗な水」を飲み続けましょう!
自分の中に「池の水」を喜びとしていないか、自分自身を探る一日にしましょう!