主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
詩篇23:1
現在高3の次男。
先日、韓国の大学・神学部に合格しました。
兄と同じ大学です。
韓国の大学受験は7月から始まり、
神学部の受験は最終の10月でした。
合格発表は15時にネットで確認。
私は仕事があり家を出ていましたが、
時間が近づくにつれ、
次男と同じように私もソワソワしていました。
そして家族LINEに届いた一通。
「合格貰いました‼」
その文字を見た瞬間、胸が熱くなりました。
何とも言えない、凄く凄く満たされた感覚。
何一つ不足がなく「私は今、誰よりも満たされている…」
そんな思いが、心いっぱいに溢れ出て来たのです。
この感覚は、実は初めてではありません。
長男が中学生の時、
「僕は誰よりも弱い人間。
だから誰よりも神さまと近くで過ごしたい。だから牧師になりたい…」
そう語ったのを聞いた時も、
同じように心が熱くなり、満たされました。
長男が神学大学に合格した時も、
そして次男が中学・高校と、何度も主を体験する姿を見た時も同じでした。
泣いたり、怒ったり、笑ったりしながら
信仰が育っていく姿を見ていると、
「私には何の不足もない。すべて主が満たしてくださっている」
そう感じる瞬間が何度もありました。
けれど同時に、
その満たされる瞬間の少し前までの自分を思い出すのです。
今月の支払い…どうしよう。
来春から次男が大学、長男は大学院…どうしよう。
給料日まであと二日か…。
運動靴欲しいな…。
忙しくて、何から手を付けよう…。
ありとあらゆることに心を奪われ、
小さなことで不安になっている自分。
「私の信仰って、なんて大したことないんだろう…」
そんな反省の思いも湧いてきました。
そしてもう一つ、ずっと忘れていたことを思い出したのです。
私は27歳の時、韓国に留学しました。
語学学校に1年通い、大学3年に編入して神学校へ。
3年半、韓国で生活しました。
正直、とても辛い3年半でした。
日本人であるという理由で受けた差別や偏見、
心ない言葉。
SNSもない時代で、この悲しみを誰にも話せず、
ただ主の前で泣くしかありませんでした。
ある時、私はこんな祈りをしました。
「神さま、私は悲しすぎる。もう嫌だ。
日本に帰りたい。
もし将来、結婚して子どもを産んだとしても、
女の子だったら絶対にあなたに捧げません‼」
祈りというより、怒りだったと思います。
その祈りのことを、結婚した時も、長男を産んだ時も忘れていました。
次男を妊娠し、医師に「男の子ですね」と言われた瞬間、
ふとその祈りを思い出したのです。
「え…? 上の子も男の子。お腹の子も男の子…。
つまり2人とも捧げなさいってこと…?」
そう思いながらも、忙しい子育ての中でまた忘れて過ごしていました。
そして月日が流れ、次男が高3になり、
今回の合格発表を通して、
心が満たされたその時に、再び思い出したのです。
主が、ずっと心の奥にしまわれていた記憶を、
そっと呼び起こされたように感じました。
留学中、私は答えようのない問いを何度も投げかけられました。
「竹島はどこの国のもの?」
「日帝時代をどう思う?」
「慰安婦についてどう思う?」
バスの中でも、道でも、お店でも、神学部の中でも、
教会でも、同じように責められました。
初めて会った人に「私は日本も日本人も大嫌い!」
と言われることもありました。(時代もあると思います。今は違うかもしれません。)
でも今振り返ると、
あの3年半は、誰にも頼ることができず、
主と向き合うための時間だったのだと思います。
途中で帰国していたら、夫にも出会っていませんし、
子どもたちにも出会えていません。
「あの時の自分を褒めてやりたい(笑)」
悲しさや苦しさに耐えた自分を、
そう思えるようになりました。
今の自分の置かれている場所や環境は、
きっと未来へと続いている。
今、苦しく感じることも、悲しく感じることも、
きっと主が与えられた時間で、私が通るべき道…
だとしたら…
私は、今日も主を賛美しながら過ごそう‼
今日与えられている信仰を、
主に捧げながら歩んでいこう‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)
