人生を主の視点で見る【ヤコブ1:2-5】

2025年

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

ヤコブ1:2-5

今日の御言葉は有名な御言葉。

有名だけど、なんて難しい話です。

「試練を喜びと受け取りなさい」とあります。

試練は、誰にとっても嫌な物。

避けて通りたいし、できるならば人生で起こって欲しくない。

万一、試練がやってきても、

早く、出来る限り早く解決したい!

と思うものです。

これは多くの人の自然な反応であり、

クリスチャンであっても同じ(だと思う)

しかし、聖書には「試練を喜びとする」とあるのです。

その説明として、

「試練」は、信仰が試され、信仰を成長させる道具。

そして試練を通して踏みとどまる力「忍耐」が生じる。

忍耐を働かせた結果、主に似た人格を得て「成熟」するのです。

人生を主の視点で判断し、信仰によって行動できる「知恵」を得れる。

何となく理解は出来ます。

試練を通して信仰が成長するのも分かる気がする。

問題のない日々に信仰の成長はない気がするから。

でも、試練を「忍耐」できるだろうか?

こんな声を良く聞きます。

「主は助けを求めても、助けてくれない。」

「主を呼んでも、答えてくれない」

「主を信じても信じなくても、試練が続くって信じられない。

教会に通う意味がない…」

「問題が多すぎて、礼拝を捧げれる状態ではない!」

…私たちは、

今、目の前に喜べるものがないと喜べない。

今、目の前に問題があれば、悲しむのです。

私たちの視野は、目の前のものにしか映らないのです。

しかし、今日の御言葉を見ると、

私たちは自分の視野を目の前のものに

留めていてはいけないという事が分かります。

視野を一歩先に送るのです。

試練にあえば、

私は「何一つ欠けたところのない完全な者へとなっていくんだ!」

と視野を動かさないといけない…。

そんな事、出来るのでしょうか?

どのような人が視野を一歩先に動かせるのか…?

「知恵のある人」なのです。

知恵のある人は、

試練を見るのではなく

視野が試練の先の「完全な者」を見ているのです。

知恵のある人は、

人生を神の視点で判断し、試練の中でも正しく歩む力を持つ。

知恵のある人は、

困難な中で「なぜ」を求めるのではなく

「どう生きるか」を知るために、知恵が必要。

主に、知恵を求めよう…‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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