私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ヤコブ1:2-5
今日の御言葉は有名な御言葉。
有名だけど、なんて難しい話です。
「試練を喜びと受け取りなさい」とあります。
試練は、誰にとっても嫌な物。
避けて通りたいし、できるならば人生で起こって欲しくない。
万一、試練がやってきても、
早く、出来る限り早く解決したい!
と思うものです。
これは多くの人の自然な反応であり、
クリスチャンであっても同じ(だと思う)
しかし、聖書には「試練を喜びとする」とあるのです。
その説明として、
「試練」は、信仰が試され、信仰を成長させる道具。
そして試練を通して踏みとどまる力「忍耐」が生じる。
忍耐を働かせた結果、主に似た人格を得て「成熟」するのです。
人生を主の視点で判断し、信仰によって行動できる「知恵」を得れる。
何となく理解は出来ます。
試練を通して信仰が成長するのも分かる気がする。
問題のない日々に信仰の成長はない気がするから。
でも、試練を「忍耐」できるだろうか?
こんな声を良く聞きます。
「主は助けを求めても、助けてくれない。」
「主を呼んでも、答えてくれない」
「主を信じても信じなくても、試練が続くって信じられない。
教会に通う意味がない…」
「問題が多すぎて、礼拝を捧げれる状態ではない!」
…私たちは、
今、目の前に喜べるものがないと喜べない。
今、目の前に問題があれば、悲しむのです。
私たちの視野は、目の前のものにしか映らないのです。
しかし、今日の御言葉を見ると、
私たちは自分の視野を目の前のものに
留めていてはいけないという事が分かります。
視野を一歩先に送るのです。
試練にあえば、
私は「何一つ欠けたところのない完全な者へとなっていくんだ!」
と視野を動かさないといけない…。
そんな事、出来るのでしょうか?
どのような人が視野を一歩先に動かせるのか…?
「知恵のある人」なのです。
知恵のある人は、
試練を見るのではなく
視野が試練の先の「完全な者」を見ているのです。
知恵のある人は、
人生を神の視点で判断し、試練の中でも正しく歩む力を持つ。
知恵のある人は、
困難な中で「なぜ」を求めるのではなく
「どう生きるか」を知るために、知恵が必要。
主に、知恵を求めよう…‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)