あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
使徒の働き2:23
今日の御言葉は、ペテロが群衆に向かって話した言葉です。
過ぎ越しの祭りに、続いて五旬節(ペンテコステの祭り)がありました。
殆どの巡礼者はその間、エルサレムに留まっていたのです。
今日の御言葉を話したペテロの話を聞いている人々は
過ぎ越しの祭りの前からエルサレムに50日程滞在しているのです。
つまり、イエスさまが十字架に付けられた時から、
弟子たちを中心とした復活の話を聞いており、
またペンテコステの祭りで聖霊が下り、
多くの人が他国の言語で話しているのを目撃した人々なのです。
イエスさまの十字架刑は、突発的な出来事ではありません。
今日の御言葉を見て分かる事は、
イエスさまの十字架は「神さまのご計画」であったのです。
主はいつからイエスさまの十字架を計画されていたのでしょうか。
多分… 主は、天地創造の時からすでにキリストの十字架はご存知だったはずです。
エバが善悪の知識の実を食べてしまう事。
そして罪が入ってしまう事。
その罪がキリストを十字架にまで架けてしまうこと。
全てご存知なはずです。
でも、ここで大事なのは…
「神のご計画のために人間が利用された」わけではないということ。
人は、自分の意志で罪を選び、
その結果、イエスさまを十字架にかけてしまったのです。
…ペテロはイエスさまのことを「知らない」と3度も言ってしまいました。
しかし、イエスさまはそれをすでにご存知でした。
群衆を恐れ「知らない」と言ってしまうその弱さを知りながらも、
ペテロを弟子として選ばれたのです。
主はそんな弱いペテロに対して
「あなたの信仰がなくならないように祈った」とイエスさまは語られています。
失敗しても、弱くても、それでも主は私たちを愛しておられ
用いられるんだというメッセージだと思います。
ペテロが「知らない」と言ったのは、自分の選択です。
それと同じように、私たちも
「キリストを十字架に架けない」
「罪を選ばない」という選択ができたのです。
でも、多くの人が間違った選択をしてしまいました。
神様は、そのことも最初からご存知だったのです。
「だったら、最初から人間は罪を犯さないように作ってくれればよかったのに!!」
そう思うかもしれません。
私たちが善悪の知識の実を食べないようにすれば良かったのに。
そのような実を園に置かなければ良かったのに。
十字架に架けるまえに、人々を止めさせれば良かったのに。
主は何でもできるんでしょ?
人間をそのように創造すれば良かったのに。と思うかもしれません。
でも、それこそが神と人との決定的な違いなんだと思います。
神さまは「強制的に従うロボット」
「コントロールされた人間」ではなく
自分で主を愛し、従うことを選ぶ人間を望まれたのです。
そのために、自由意志を与えられたのです。
人間に自由意志を与えるという事は、
神さまからの「ものすごく深い愛の証」だと言えると思います。
だったら…
神さまは、私の弱さも、失敗も、心の奥底も知っておられる…。
でも、選ぶのは私自身。
自由意志を持つ私たちは、
日々、考えをもって選択していかないという事です。
私たちが「主を愛すること」を選んだら、
それこそが、真の主との本当の関係が生まれる…!!
今日、私は何を選ぼう…
私は自分の意思で「主を褒めたたえ主を愛する」という事を
常に選ぶ人間になりたい…!
あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)