本当の原因【伝道者3:1】

2025年

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

伝道者3:1

先日、スーパーでリンゴを買いました。

ツヤツヤと美味しそうな色合いに惹かれて、

「ちょうど食べごろだな」と思い、迷わずかごに入れました。

けれど、家に帰って食べてみると……うーん、イマイチ💦

まだ熟していないような、そんな味だったのです。

「えっ、こんなに赤いのに……」とガッカリしつつ、

残ったリンゴを冷蔵庫にしまいました。

1週間ほどして、何気なくもう一度食べてみると…

なんと、甘さが増していてとても美味しくなっていました。

でも、見た目はというと──購入時の方が断然よかったのです。

皮にハリがなくなっていて、

もしこの状態で店頭に並んでいたら、

たぶん私は買わなかったと思います。

美味しいリンゴを味わいながら、ふと気づきました。

私が「これが食べごろ」と思っていた見た目の判断は、

実際には本当の熟し具合とは違っていた。

このことって、信仰生活はもちろん、

人との関係や日常の中にもたくさんあるなぁと感じました。

例えば、高校3年生の次男。

いよいよ受験生。世間的には「今が勉強の時!」です。

でも、もしかしたら次男にとっては、

まだその時ではないのかもしれません。

私は「今こそ頑張る時」と思い込んで、小言を言ってしまう。

世の中の「時」に合わせて、

無意識にそれを要求している自分がいます。

でも、言われた側もまた同じように、

「今は勉強するべき…なのに、なんでやる気が出ないんだろう」

と、自分を責めているかもしれません…💦

信仰も同じです。

主には主の「時」がある。

けれど、私たちはそれを待てず、

自分で「この時にこうしてほしい」と決めてしまいます。

でも、主が沈黙されているのは、答えてくださらないのではなく、

「まだその時ではない」ということかもしれません。

なのに、私たちは「主がいないのでは?」とまで思ってしまうことがある。

でも…

本当の原因は、自分で「時」を決めてしまったからなのです。

主の時を、忍耐して待とう…!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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