私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
もしまだ見ていないものを望んでいるなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。ローマ8:24-25
今、自分の生活圏内が目まぐるしく動ています。
子どもの学校は教育現場でありながらも、
問題が大きくなっていき「弁護士」「マスコミ」「調停」などという
単語が飛び交っているのです。
そして、学校から私への圧力が高まって来ていました。
自分の中で、かなりの心労が生じていました。
そんな中、派遣会社を通して働きに行っている病院でも…。
同じ派遣の同僚の中でも、私の心に負担がかかる出来事が…。
…なんだろう?
この疲れ切ってしまっている心。
どことなく心に自由がなく、悶々とした日々。
何となく私は1人、トンネルの中を歩いている様な感じ。
最近、季節が変わり温かくなり、過ごしやすくなってきました。
周りを見渡すと、桜の並木道を楽しみながら走っていく車。
季節の移り変わりを楽しみ自転車やをウォーキングを
楽しむ姿。
温かい日差しと、多少の寒さが残った風を切りながら。
各々が自分が進む道を、自分が思う速度で進んで行っているのです。
しかし、今、私が感じる自分の姿は、
太陽の光が当たらない、暗いトンネル。
季節の移り変わる、少し肌寒い風ではなく、
年中同じ様なひんやりとした肌寒さを感じるトンネルの中。
そして、そのトンネルの中を、車で一気に通り抜けるのではなく
私は「歩き」なのです。
そして、そのトンネルはいつ外の世界にでれるかどうか
分からない状態。
もう今の自分はいっぱい一杯だと感じながら
トボトボと歩いているのに、
所々、トンネルの中に水たまりがあります。
日が当たらないトンネルの中の水たまりは、
なんかじめじめとした水たまり。
歩きの私が先を進む事を拒んでいる様にさえ感じる。
限界だと感じているのに、
限界のなかにも、
私の足取りを阻むものに出会うのです。
…いつまでこのトンネルは続くんだろう…
いつになったら、太陽の光を浴びる事が出来るんだろう?
トンネルを出たら、自分で行きたい道を歩める。
しかし、トンネルの中は一歩ずつ、前に進むしかない。
今、トンネルのどのあたりに自分がいるのか分からない。
トンネルをでるゴール近くまで、出て来れているのか?
それとも、トンネルはまだまだ序盤なんだろうか。
その様に感じる日々。
でも、
トンネルの中を歩んでると感じるのは、
私が勝手に感じてしまっているだけの話。
本当に主がトンネルの中を歩むようにされているのかは、
わからない。
一方的に私がそう思ってるだけかも知れない。
私は見たり感じたりはできないけど
トンネルの外には、太陽が存在し、
温かい日差しを、今日も主は届けてくれている。
肌寒さが残る風も吹いている。
私は今、自分の目で見れないだけの話。
私が今する事は、一歩ずつ先に進む事。
自分が何処にいるか分からないから、太陽の光がないからと言って
進む事をやめれば、ずっとトンネルの中で過ごすことになる。
トンネルという枠組みが与えられているという事は、
歩むべき方向は与えられているという事。
今、自分が歩んでいるトンネルは、
出口に繋がっていると信じ、歩みを続けてるという事。
一次的に太陽が見えなくても、
太陽は存在する。
そうだ!
1人でそのトンネルを歩むのであれば、
私は大声で賛美をして歩もう…!
トンネルの中で賛美は反響するはず!
そう思ったら、
トンネルの中でも、美しく恵み深い時間をすごせるんだ!
今は、賛美を天に向かって捧げる時ではなく…
トンネルの中で賛美を反響させ、
自分の心に浸み込ませる時間なんだ。
私は今、トンネルの中でとても大切な時間を過ごしているんだ…。
主を自分の中に蓄える時間。
見えない主を信頼する時間。
外の世界と遮断されたトンネルの中は、
主の恵みしかない…!
今日も、私は主を信じよう‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28u~)