デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。
Ⅱテモテ4:10
今朝、聖書を読んでドキッとしました。
今日の御言葉です。
ここに出てくる「デマス」という人。
デマスは、新約聖書に何度か登場していて、
パウロの同労者として仕えていた人です。(コロサイ4:14)
またピレモン1:24には、デマスの事を「同労者」
訳によっては「協力者」と記載されいているのです。
単に主を信じる人ではなく、
パウロの過酷な宣教旅行に同行していた人…。
パウロが初めてローマで投獄された時は、
トマスは共におり、
二回目の投獄の時に離れたんだと思います。
トマスが「神の協力者」から離れた理由…
このコミュニティーで仲間割れをした訳ではなく
パウロと揉めたのでもなく、
牢獄されるのが怖かったのでもなく…
「この世を愛した」からなのです。
だから教会では彼の事を
「世を愛したデマス」と言うのです。
考えて見れば…
アダムとイブのイブも同じかもしれません。
アダムと喧嘩をした訳でもなく
主が嫌いになったり、主に文句があった訳ではなく、
主より善悪の木の実に心を奪われたのです。
主の愛より、善悪の木の実に魅力を感じたのです。
放蕩息子も、父親に不満や文句があった訳ではなく…
この世に魅力を感じ心を奪われてしまったので
父のもとを離れたのです。
自分の中で、主より「この世」が大きくなっていったのです。
この世に心を奪われたのです。
デマスのように、神の協力者であっても
世に引っ張られる可能性があるという事です…。
私たちはこの世に住んでおり、
主は目にみえません。
しかし、私たちの目に写るのは、この世の煌びやかな姿。
また世の中の人の口から、色々な誘惑がささやかれ
私たちの耳はそれを聞くのです。
自分の信仰は無くなる可能性がある…!
という事を常に心に留めておかないといけない…。
…「永遠の命を得るにはどうすればいいのか」と
イエスさまに質問したお金持ちの青年。
彼も信仰を持っており、よりレベルの高い信仰へと願っていたはず。
しかし、信仰と財産に「執着」したのです。
初代教会の中で、土地を打った代金の一部を隠し、
全部を捧げたように偽ったアナニヤとサッピラ。
信仰がなかったわけではなく、何かに不満があった訳でもなく
この世の富に「執着」があったのです。
世の中の魅力は「執着させる力」があるのです。
信仰は、緊張感を持ち続けて、
過ごすべきなのかもしれません。
今日も、主を思いながら過ごそうと思います!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)