試練は祝福の1つ【へブル12:11】

2025年

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

へブル12:11

今日は少し次男の話です。

高校二年生。生徒会長をしています。

子どもが通う学校は、生徒会の活動がとても活発です。

毎日毎日、放課後は生徒会活動…

帰って来るのも遅い。

家に帰ると「しないといけないタスクが10以上ある💦」と。

そして数日前から「今週は職員会議に出席して

‟生徒会が考える学校改革” について、プレゼンしないといけない」と

負担に思っていた様子。

凄くツッコまれるそうです。質問攻めにされるようです。

ストレスのようで、時にはイライラしたり、深いため息をついたり。

そして先日、学校の授業が終わった時間に、

次男から電話がありました。

「オンマ! 今から職員会議! 祈って‼」と教室から電話。

周りに友達がいるだろうに(笑)

「分かった! 今から祈る! 絶対上手に出来るから安心して!」と電話を切りました。

そんなに緊張することかな…と思いつつ、

でもまあ、次男が緊張するのであれば、そうなんだろうし。

それでストレスを感じるのであれば、次男にとっては試練なのです。

そして、心を落ち着かせて祈りました。

「神さま。次男が今から職員会議でプレゼンをします。

次男にとってこれは大きなストレスであり、

小さな心臓が緊張感に包まれています。

今すぐ、主の平安で包まれることを感謝します。

次男が、難しい中にあっても、

主を感じる事が出来ますように。

これら一つ一つの出来事を通して、

主が今、次男をトレーニングして下さっている事を感謝します。

全てが益となり、人生を振り返った時に

主が備えて下さっていたと悟ることができます様に。

次男に必要な言葉を知恵を与えて下さい。

また次男の姿を通して、

先生方が主を知る事が出来ますように。」

祈り終わって、

あ…そうか…!と思ったのです。

私にとって大したことでなかっても、

次男にとってはストレスであったり、イライラすること。

また試練と考える出来事。

そこまでストレス受けなくても…と思えている私の目には

これは、将来の為に主が訓練してくださっているんだな…。

後々、あの時、ストレスと感じていた生徒会の活動が

今の自分を作ったと感じるんだろうな…。

と理解できます。

この件に関して、私は次男より物事を俯瞰して見れるのです。

次男にとったら「早くストレスから解放されたい」

「試練は嫌だ!」と思うかもしれませんが

私の目には「主の訓練感謝します」

「主が今から備えて下さっている事を感謝します」

と思えるのです。

…しかし立場が変わって、

私が次男のような立場になる時があります。

他の人が見たら、何てことない事に、

私は大きな試練を感じている事があるかもしれません。

「もう嫌だ… 早く解決してほしい‼」と泣いているかもしれません。

しかし、見る人が見れば

「LBは祝福されてる… 主が備えをして下さっている」と感じているかも。

そんな事を考えていたら、

私は、いつも試練や問題から身を離れ、

平安の中で生きていく事を望んでいるのです。

試練ではなく、

「平和な温室」で過ごす事を望んでしまっています。

もし、子どもが試練がない人生だったらどうだろう…?

風邪を引いて高熱で苦しむ経験もなく、

学校でも、友達に意地悪される経験もなく、

嫌味を言われたり、失敗しても叱られる事もない。

子どもが、ずっとこのような環境で育ったら、

この子どもの人生は豊かだといえるんだろうか。

毎日、ストレスや問題のない日常を求めるという事は、

私が望む温室は、こんな人生を望んでいるのかもしれない。

ストレスや試練が、子どもの心も精神も、思考も育てているのです。

聖書を見ても、

主は、私たちを温室に入れようとされず、

反対に「荒野」へと導かれることが多い…💦

荒野に導き、そこで磨かれている

だったら試練は、私たちの未来の備えだと言えるかもしれません。

であるならば、試練は祝福の1つ…。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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