—見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである—
黙示録16:15
病院の夜勤の仕事は、凄く忙しいです。
もしナースコールが鳴らなく、急変もなかったとしても、
しないといけない仕事が次から次へとあります。
それぐらいの仕事量なのに、
5分10分おきに、ナースコールを鳴らす患者さんもいます。(特に用事はないけれど誰かと話をしたい状態)
ですから、自分の仕事をしつつもナースコールが鳴ると、
急いでその病室に行く必要があります。
ですからいつもバタバタなのです。
そんな日常であっても、夜中にも救急で入院患者さんが来られます。
救急入院が入ったら、看護師さんが状態を聞き、
私に指示を出されます。
「救急入院入ります。〇号室で準備して下さい」
「〇〇と△△を準備して下さい」
すると他看護師さんが「症状が悪い場合に備えて、□□が必要かも!」
「LBさん、〇病棟に行って借りておいてください!」と言われます。
救急患者さんが自分の担当以外であっても
夜勤3人の看護師さんは、救急で入られる患者さんの
色々な症状を考えて、大急ぎで迎える準備をします。
皆が、自分の今している仕事を置いて、
救急患者に集中するのです。
この状況は時々あり、先日の夜中もそうでした。
救急患者さんが病室に入られたら、
看護師さんたちは大忙し。
私は看護師さんが対応できないナースコールを一人で受け持つ事になります。
先日「さあ、今からは私はコール対応がんばろう!」と思っていたのですが、
不思議とピタッとコールが止まったのです。
そして、少し離れた所で、
看護師さんたちがどの様に救急に対して動いておられるのか見る事が出来ました。
予め準備しておいた器具が全て役に立っていました。
「これ…もし一つでも準備が抜けていたら、本当に大変!」と思ったのです。
看護師さんたちが連携プレーで対処しておられる姿を見ながら、
当たり前ですが「準備って大切」と思ったのです。
そう思いながら
私は準備出来ているだろうか?
主が来られるのに。
主が来られるって分かってるのに。
今いている事柄から手を休め、主に集中しておられるだろうか。
今している事柄…
もしかしたら、家の掃除かもしれません。洗濯、食事の準備、明日の準備、
宿題のレポート、もしかしたら絶対に見たい番組かもしれません。
しかしもし今日、主の再臨されると分かっていたら、
主の再臨より重要視されるものは何もありません。
私は、聖書を読む事より「今のうちに洗濯を回しておこう」とか
「今日は朝から大忙しだから、聖書通読は夕方でいいか!」とか
思ってしまっている。
…困った時だけ、必死に祈り…
…悩んだ時だけ、聖書を広げる…
そのような信仰になっていないだろうか。
…主は多分、突然来られる。思ってもない時に。
看護師さんたちは「救急患者が入るかもしれない」と常に思っています。
これって凄く大切。
私も「今日、主が来られるかもしれない」と肝に銘じるべき。
「今、私がまず集中するべき事」を常に考えていきたい!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)