何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。コロサイ3:23-24
先日、仕事に行くのに電車に乗りました。
そして乗り換えようと、電車の戸の前で立ち
扉が開いて一歩ホームに出た瞬間、
誰かにハグされたのです!
こんなタイミングで、ギュッとしっかりハグされるのは人生で2回目!(笑)
「え…?」と思い、ハグしている人を見ると
久しぶりのママ友Aさん!
前回も数年ぶりにこのような電車の乗り換えのタイミングで再会し
ハグしてくれたのです。
前回は、互いに急いでいたので「えーー元気??」と言って
手を振って別れました。
今回は、私がもう一度電車に乗り直し、数駅一緒に電車に乗り、
久しぶりの近況報告!
以前、ゆっくり話したのはいつだろう?から始まり、
思い出したのです。
私「あれ? 今どこに住んでるんだっけ? 引越しするとかしないとか、言ってなかった?」
と聞くと
A「あーー結局ね。引越して〇〇に住んでるの! あの時、住んでいたマンションを購入するか引越すか迷っていたのよね~」
私「そうなんだ!え、でも前のマンション、便利な所だったよね~」というと
A「うん。場所もマンションも気に入ってて、だから購入しようか迷ったんだけど
いざ、購入するとなると、今まで気にならなかった騒音とか、
ゴミ捨て場とか、マンション周りの治安とか、気になりだしたのよ…」
と言っていました。
そんなこんなの話をして、
「また絶対に偶然会おうね‼(笑)」と別れました。
別れてから、先ほどAさんが話していた
「いざ購入しようと思ったら、色んな事が気になって」という言葉が心に残りました。
そうだよな~
家賃で「賃貸」で住んでいる時と、購入して「自分の家」とは違う。
自分の家となれば、自分が家の主人となり、自分が家の主体者となるのです。
自分のモノではない家賃で住んでいる時は気にならなかった事が
自分のモノとなれば、見る目が変わって来るのです!
面白いですね。
同じものを見ても、主体が誰かで見る目が変わる…
よく考えれば、
経営者と社員では同じ仕事したとしても見る目が違うはず。
そう言えば、
働いている病院で主任さんが、「主任」になって見る目が変わった。
「今までは ‟これぐらい大丈夫だろう” と日頃の忙しさを理由に
手を抜いた物品のチェックなど、
一つ一つがとても大切で、病院内でミスを起こさない為に
絶対にそのような、軽い見方、考え方は絶対にダメ!と思うようになった。
忙しさに追われているナースがその様に思うのも理解できるけど、
立場が変わって考え方も変わった」と言われていました。
立場が変わると、考え方が変わり、
立場が変わると、見えてくるモノも変わる…
…私は、どのような立場(位置)で教会に通っているんだろう。
単なる信徒なんだろうか。
積極的に主を愛するしもべとして仕える者となれているんだろうか。
実際の立場的な問題というより、
意識の問題。
日曜日の礼拝時間だけ、教会に行って座ってるだけの信徒。
ため息をしながらも奉仕をしている信徒。
教会内のいざこざに疲れている信徒。
教会を「〇〇牧師が牧会している教会」と認識しているのか
それとも「私の教会」「私の群れ」と認識しているのか。
自分が単なる信徒の一員ではなく、
主に仕える主体者として教会に属しているだろうか…
意識を変えれば、
見えてくるモノも変わるハズ…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)