イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』マルコ12:29-30
信仰を成長させたいと思いませんか?
私はいつも、自分の信仰を成長させたい…と願っています。
でもでも、よく考えたら、
「信仰を成長させる」ってノンクリの方が聞いたら
意味が分からないですよね。
「最近、信仰面はどう?」と言う会話も、聞く人によれば、
意味が分からない質問…
仏教や神道を信仰している方とは、違う感覚かもしれません。
これは、私たちの信仰は、神さまと個人的な関係があるからです。
私たちの信仰する神は、
仏教や神道のように、
私たちが、一方的にお願いをしたり感謝をするといった
一方的な関係ではないからです。
信仰を成長させたい…と言う思いは、
主にもっと近づきたい!
主をもっと知りたい…!
もしくは、主に従いたい…!と言った思いがあるんだと思います。
どうしたら信仰を成長させる事が出来るんだろう…?と考えていました。
パウロとシラスが牢獄に入れられた時のことを思い出しました。
第2回宣教旅行の時、
パウロとシラスは偽りの疑惑をかけられ、捕まえられ、
衣服を没収され、何度も鞭打たれました。
そして足かせをはめられ、牢屋の最奥に入れられたのです。
万一、私がこのような事態に陥ったら…
どうするでしょうか…💦
出来る限りのクリスチャンの方々に、現状を伝え、
とりなしの祈りを要請すると思います。
このブログにも【緊急! 祈って下さい‼】…と。
伝道を邪魔するサタンの攻撃を受けている…と。
牢屋に入れられた経緯を詳細に書くと思います。
そして、解放を祈って貰い、伝道旅行が再開できるように。
しかし、ご存知の通り、パウロとシラスの取った行動は違うのです。
汚く臭く、衛生的にも最悪で、打ち傷で身体は悲鳴を上げていたと思います。
その中でも、パウロとシラスは、賛美を歌い、祈ったのです。
悲しみのあまり、泣きながら、歌い祈ったのでしょうか?
多分…、感謝の思いに満たされ、力強く歌ったのではないでしょうか?
私なら、今、自分が置かれた状況に目も心も奪われると思います。
そして大騒ぎするのです…
パウロとシラスは「主よ…どうしてですか?」と祈らなかったと思います。
パウロとシラスは、自分たちの疑いが晴れ、
解放されることを望んでいなかったのです。
不思議ですよね…
どうしてそのように思えるのでしょうか…
余りにもこの話は何度も聞いているので、
「パウロとシラスは凄いよね~」とスルーしてしまいそうですが…
私は読む度に、不思議に感じます。
私は、彼らのような困難に遭った事がありません。
疑惑で捕まった事も無ければ、鞭で打たれた事もない
足かせをかけられたこともなければ、
牢獄に入れられた事もない…
彼らに比べれば、私の困難は…本当に小さい…💦
なのに…「主よ。何故ですか? どうしてですか?」と
私は大騒ぎするのです…💦
信仰が成長するとは、
自分を取り囲む環境や条件に左右されず、
神の本質にだけ意識を集中させることではないか…と思うのです。
私たちと主の関係は、
私たちの祈りに答えてくれるから、
私たちは主を信じるのではないのです。
私たちを祝福してくれるから、
私たちは主を信じるのでもないのです。
祈りがきかれても、きかれなくても、
祈りに応えられても、応えられなくても…
置かれた状況が良くても、悪くても…
私たちは主を信頼し、主を賛美し、主に感謝し、主を愛する。
パウロとシラスはこの姿勢を「貫いた」のです。
私も、難しい状態に取り囲まれた時、
「私は、主を見上げ賛美する」という
貫いた姿勢を持てるようになりたい…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)