信仰が成長するという事【マルコ12:29-30】

2024年

イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

マルコ12:29-30

信仰を成長させたいと思いませんか?

私はいつも、自分の信仰を成長させたい…と願っています。

でもでも、よく考えたら、

「信仰を成長させる」ってノンクリの方が聞いたら

意味が分からないですよね。

「最近、信仰面はどう?」と言う会話も、聞く人によれば、

意味が分からない質問…

仏教や神道を信仰している方とは、違う感覚かもしれません。

これは、私たちの信仰は、神さまと個人的な関係があるからです。

私たちの信仰する神は、

仏教や神道のように、

私たちが、一方的にお願いをしたり感謝をするといった

一方的な関係ではないからです。

信仰を成長させたい…と言う思いは、

主にもっと近づきたい!

主をもっと知りたい…!

もしくは、主に従いたい…!と言った思いがあるんだと思います。

どうしたら信仰を成長させる事が出来るんだろう…?と考えていました。

パウロとシラスが牢獄に入れられた時のことを思い出しました。

第2回宣教旅行の時、

パウロとシラスは偽りの疑惑をかけられ、捕まえられ、

衣服を没収され、何度も鞭打たれました。

そして足かせをはめられ、牢屋の最奥に入れられたのです。

万一、私がこのような事態に陥ったら…

どうするでしょうか…💦

出来る限りのクリスチャンの方々に、現状を伝え、

とりなしの祈りを要請すると思います。

このブログにも【緊急! 祈って下さい‼】…と。

伝道を邪魔するサタンの攻撃を受けている…と。

牢屋に入れられた経緯を詳細に書くと思います。

そして、解放を祈って貰い、伝道旅行が再開できるように。

しかし、ご存知の通り、パウロとシラスの取った行動は違うのです。

汚く臭く、衛生的にも最悪で、打ち傷で身体は悲鳴を上げていたと思います。

その中でも、パウロとシラスは、賛美を歌い、祈ったのです。

悲しみのあまり、泣きながら、歌い祈ったのでしょうか?

多分…、感謝の思いに満たされ、力強く歌ったのではないでしょうか?

私なら、今、自分が置かれた状況に目も心も奪われると思います。

そして大騒ぎするのです…

パウロとシラスは「主よ…どうしてですか?」と祈らなかったと思います。

パウロとシラスは、自分たちの疑いが晴れ、

解放されることを望んでいなかったのです。

不思議ですよね…

どうしてそのように思えるのでしょうか…

余りにもこの話は何度も聞いているので、

「パウロとシラスは凄いよね~」とスルーしてしまいそうですが…

私は読む度に、不思議に感じます。

私は、彼らのような困難に遭った事がありません。

疑惑で捕まった事も無ければ、鞭で打たれた事もない

足かせをかけられたこともなければ、

牢獄に入れられた事もない…

彼らに比べれば、私の困難は…本当に小さい…💦

なのに…「主よ。何故ですか? どうしてですか?」と

私は大騒ぎするのです…💦

信仰が成長するとは、

自分を取り囲む環境や条件に左右されず、

神の本質にだけ意識を集中させることではないか…と思うのです。

私たちと主の関係は、

私たちの祈りに答えてくれるから、

私たちは主を信じるのではないのです。

私たちを祝福してくれるから、

私たちは主を信じるのでもないのです。

祈りがきかれても、きかれなくても、

祈りに応えられても、応えられなくても…

置かれた状況が良くても、悪くても…

私たちは主を信頼し、主を賛美し、主に感謝し、主を愛する。

パウロとシラスはこの姿勢を「貫いた」のです。

私も、難しい状態に取り囲まれた時、

「私は、主を見上げ賛美する」という

貫いた姿勢を持てるようになりたい…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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