神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。詩篇46:1-2
ある姉妹の証を聞きました。
凄く大きな試練があり、またその期間も長い…
そして主の時が満ちた様で、
主が動かれた時は、あっという間に問題は終結を迎えるのです。
試練の後の恵みは大きかった様子。
「試練が大きい分、頂いた恵みも多きかった」と言われていました。
凄く恵まれた証でした。
でも、ふと思ったのです。
辛すぎる試練って私たちは嫌です。
万一、試練の大きさに、後の恵みの大きさが比例するのであれば…
プラスマイナスゼロ?
もしそうであれば、試練を軽くしてほしい…
もしくは試練を失くしてくれたらいい。
大きな祝福を望まないので、困難も大きなものはやめて欲しい
と思いませんか?
そう思うと同時に、
イスラエルの民を思い出しました。
エジプトから奴隷解放された民。
解放されすぐに死が迫ってくる恐怖を体験するのです。
民は定住するのではないので、
旅人のような人生。
安定していないのです。
結果から見ると、
40年にも及ぶ道のりを経て、
約束の地へ入ることがで来たのです。
土も水も豊かな地が与えられたのです。
民にとって、40年間は大きな困難な道のりでした。
民にとって、困難(-)と約束の地(+)で、
プラスマイナスゼロなのでしょうか?
マイナスだと感じる困難の時間…40年間、
主は共に居てくださったのです。
水を与え、マナを与え、
肉が欲しいという民にも答えられました。
暑さからも寒さからも守られたのです。
主の祝福は、
困難の先にあるわけではない。
困難の中にもあるのです。
主の祝福はプラスマイナスゼロではない…
主は、私たちの目にどの様な状況であろうと、
祝福をもたらせてくれるのです。
困難の中での祝福
困難後の祝福
しかし、目の前にある状況、環境だけに目を向けたら
私たちは直ぐに不安になる。
そしてその不安に飲み込まれると、
大きな間違いを起こすかも…
イスラエルの民のように、
モーセがシナイ山に登り、
自分が思っている以上に事が運ばないと(モーセが帰って来ないと)
民は、金の子牛という偶像を作り
「これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」
と言ったのです。
困難を感じる時、寂しさの中にある時、
孤独の中に置かれている時、
私たちはこんな時こそ、
主を見上げ歩む必要があります。
恵みを貰いながらも、全く違った道を歩む可能性があるのです。
聖書を読めば「どうしてこんな愚かな事をするんだろう?」と
思う事が多いです。
しかし、私たちは同じ人間。
私たちも、傍から見れば愚かだと分かる事を
沢山し、何とか苦難を乗り越えようともがいているのです。
でも、主は苦難の中にも共に居られ
私たちに語られているのです。
「目に写る状況に心を奪われず、私を見上げなさい」…と。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)