わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイ28:20
韓国は日本よりもっとアーチェリーが身近な存在です。
多分、オリンピックなどを見ても
韓国はアーチェリーが強いからか…?
韓国にも、日本の小学校の放課後の「学童」のようなシステムがあります。
そこで楽器や運動など自分で選択して学ぶシステムがあります。
その中の1つに、アーチェリーがある学校があるようです。
凄いですよね…
韓国の友達が、自分の子どもがアーチェリーの大会に出たと動画を送ってくれました。
その動画をみて驚きました…
会場が凄く静かなのです。
よくよく考えたら、当たり前ですよね。
多くの競技の応援は賑やかなイメージがありますが、
アーチェリーは音を立てないように注意をしている様子。
フィギアスケートなども同じかもしれません。
どうしてなんだろう…
どうして静かに見守るんだろう?と思うと、
選手が集中出来るようにと言う配慮。
選手の精神が目標に向かって集中できるように、
黙って応援するのです。
応援する側の心はどうでしょうか。
声を出すのと出さないのと…差はないと思います。
出さないでする応援は、応援する側は祈りに近い気がします。
応援には方法がいくつかあるんだな…と
短い動画を見ながら考えていたら、
主も同じかもしれない…と思ったのです。
主も、御言葉を通して語られる時もあるし、
賛美の中で平安や喜びを与えられる時もある。
そして「沈黙」される時もあるのです。
沈黙も応援なんだ…と思いました。
主が遠く感じるほど、祈っても主の御心が分からず、
何も感じず、自分の状況も変わらない…
主が沈黙されているような時間ってあります。
沈黙も、主は私たちが今している事に集中できるように、
固唾を飲んで見守っておられるんだと思います。
主が沈黙される時、
私たちも主に集中するのです。
「何も聞こえなく、何も見えなくても、私だけを見つめなさい」
「私だけを頼りなさい」
「自分の置かれた状況が変わる事なくても、
私の変わらない愛を信じなさい」
主は、私たちが主に集中できるように、
また今しようとしている事に集中できるように、
沈黙され応援される時もあるんだと思います。
だから「沈黙」の時は、主を信じ、主の時を待つのです。
沈黙は、主がおられないのではない。
イエスさまも十字架の道を歩まれた時…
天の父は、ずっとずっとイエスさまに声をかけられ励まされたのではない…。
どちらかと言えば、沈黙ではないでしょうか。
イエスさまが鞭打たれる時、
イエスさまが十字架を背負って歩かれた時、
イエスさまが群衆に罵倒され唾をかけられた時、
イエスさまがいばらの冠をかぶらされた時、
イエスさまの手に釘が刺された時、
天の父は居なかったのでしょうか。
天の父は無関心だったのでしょうか。
痛み苦しむイエスさまをご覧になって、
イエスさまが与えられた使命を全うできるように、
沈黙されたのではないでしょうか。
この時、イエスさまはどうだったんだろう…
沈黙される天の父に対して、
不満に思われていたんだろうか。不審を感じていたんだろうか。
イエスさまは多分…
天の父を見上げ、ご自分の使命を果たそうと
父だけを見上げていたのではないでしょうか。
沈黙は、主がアツいエールを送られているんだと思います。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)