私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。哀歌3:22-24
私たちは、時々、
絶望を感じたり、心に痛みを覚えたり、
不安になったりします。
もしかしたら、嬉しい、楽しい、
幸せというような瞬間より、
暗く辛い時間の方が長いかもしれません。
どうしてでしょうか。
主はどうしてこのような状況を良しとされるのでしょうか。。
どうしてこのような時間を過ごさないといけないのでしょうか。
主に出会い、主と共に平安な日々を過ごせたらいいのに…
辛い時間は、罰ではないと思います。
辛い時間は、主からの語りかけです。
だから、辛い状況に嘆いて時間を過ごすのではなく…
自分には「解決する能力がない」と知るべきだと思います。
自分には「今の状況を変える力がない」
自分は、風の向きさえ変える事ができず、
雨を降らす事もできない。
太陽の光を調節する事もできない。
花を咲かせる事もできない。
実を実らせる事もできない。
自分で出来ることは、
無いに等しいと知るべきなんだと思います。
自分の力のなさを知り、
主の偉大さを感じる時間。
与えられた苦難は、私が倒れる為に与えられたものではなく、
自分を知り、主を見上げる機会。
苦難が来るたびに、主を知る機会なのです。
苦難が来るたびに、私たちがもっと謙遜になる機会。
自分には主しかいない。
主と共に歩もう。
主ともっと親密な関係になろう。
困難に出会った時、私たちは、
主はいつこの困難を解決してくれるだろう…と
「時」に集中します。
しかし、主が求めておられるのは、
「時」ではなく「意味」「意図」なのです。
今、自分の置かれた環境に、
主はどのような思いを持っておられるのか。
今、主が私に何を語ろうとされているのか。
集中するべき点は、「意味」「意図」なんだと思います。
しかし、弱い私たち…
直ぐに「主よ。辛いです!助けて下さい!問題の介入をして下さい!」と祈ってしまいます。
だから、何もない普段の時から
心の準備が必要なんだと思います。
「主は、今日、私に何を教えて下さるんだろう」
「主よ。主が私に語ろうとされている事を
私が知る事が出来ますように」という祈り。
普段から、「主が私に教えようとされている事」について
考え、祈っていくのが、
苦しみがやって来た時に、
習慣的に「意味」「意図」に心が動くように思います。
今日も、主に集中して過ごしたいです。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)