普段から主に求めるもの【哀歌3:22-24】

2024年

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。
主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。

哀歌3:22-24

私たちは、時々、

絶望を感じたり、心に痛みを覚えたり、

不安になったりします。

もしかしたら、嬉しい、楽しい、

幸せというような瞬間より、

暗く辛い時間の方が長いかもしれません。

どうしてでしょうか。

主はどうしてこのような状況を良しとされるのでしょうか。。

どうしてこのような時間を過ごさないといけないのでしょうか。

主に出会い、主と共に平安な日々を過ごせたらいいのに…

辛い時間は、罰ではないと思います。

辛い時間は、主からの語りかけです。

だから、辛い状況に嘆いて時間を過ごすのではなく…

自分には「解決する能力がない」と知るべきだと思います。

自分には「今の状況を変える力がない」

自分は、風の向きさえ変える事ができず、

雨を降らす事もできない。

太陽の光を調節する事もできない。

花を咲かせる事もできない。

実を実らせる事もできない。

自分で出来ることは、

無いに等しいと知るべきなんだと思います。

自分の力のなさを知り、

主の偉大さを感じる時間。

与えられた苦難は、私が倒れる為に与えられたものではなく、

自分を知り、主を見上げる機会。

苦難が来るたびに、主を知る機会なのです。

苦難が来るたびに、私たちがもっと謙遜になる機会。

自分には主しかいない。

主と共に歩もう。

主ともっと親密な関係になろう。

困難に出会った時、私たちは、

主はいつこの困難を解決してくれるだろう…と

「時」に集中します。

しかし、主が求めておられるのは、

「時」ではなく「意味」「意図」なのです。

今、自分の置かれた環境に、

主はどのような思いを持っておられるのか。

今、主が私に何を語ろうとされているのか。

集中するべき点は、「意味」「意図」なんだと思います。

しかし、弱い私たち…

直ぐに「主よ。辛いです!助けて下さい!問題の介入をして下さい!」と祈ってしまいます。

だから、何もない普段の時から

心の準備が必要なんだと思います。

「主は、今日、私に何を教えて下さるんだろう」

「主よ。主が私に語ろうとされている事を

私が知る事が出来ますように」という祈り。

普段から、「主が私に教えようとされている事」について

考え、祈っていくのが、

苦しみがやって来た時に、

習慣的に「意味」「意図」に心が動くように思います。

今日も、主に集中して過ごしたいです。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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