こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。
Ⅰコリント10:31
最近凄く忙しいです。
夜勤明けに、子どもの学校へ行って、
夕方まで会議であったり、説明会の準備をしたり…
しないといけない事が山積みなのです。
学校の一方的な学校改革は、1つ2つではなく、
次から次へと色んな事を始めます。
先週は4日も学校に行ったりしています。
寝不足が続き、夜勤の仕事が辛くなってきました。
そして、1日学校にも仕事にも行かない日があると、
20時間も寝ていました…
私は、こんな生活で良いんだろうか…
夕食の準備が出来ない日もあります。
追われるような日々…
学校から車で帰る時、いつも賛美を聞いています。
賛美を聞きながら、
自分は何をしているんだろう。
こんな生き方で良いんだろうか…という
考えを持ちながらの賛美
心が締め付けられるように感じ
「あー主のもとに帰りたい…」といった思いが起こり
悲しい思いになりました。
これは、主ともっと近い関係に戻りたい…という思いです。
あ…やっぱり、自分は時間に追われて、主から心が離れていってる…
と思ったのです。
しかし、役員を辞任する事は出来ないし、
次々と開かれる会議は、私が進行をするのです。
どのように、生きて行けばいいんだろう…と思いました。
そう思った時に「主のもとに帰ろう」と思い直せたのです。
そして、次の日の朝、目覚めた時、
「私は今日、主が喜ばれる事だけをする事が出来ますように。」
と祈るようにしました。
しかし、しないといけない事など変わらず山積み。
私は基本的に人見知りなのです。
会議で多くの人の前で説明したり、
司会進行をする事が負担なのです。
今日も学校へ行き、知らない保護者達に会いました。
「良かったら同じ学校の保護者としてお話しませんか?」と声をかけ
10人数人の人たちに、私1人で、今学校がどうなっているのか?という話をしました。
人それぞれ、学校からメールが来ても読まない人は多いのです。
全く何も理解していない人もいました。
「私は、高2の〇〇の母です」と自己紹介しても、
子どもの同級生の子どもの名前を知らないのです。
「この人誰だろう…私たちを集めて何の話をしてるんだろう…」と言う不信感丸出しの表情。
情報がゼロの人に、学校の状況を丁寧に説明をしてきました。
対面なので相手の表情も見え、相手の理解度を感じながら
話を続けることができました。
そして最後にこの保護者たちが、
「学校で何か問題が大きいと思っていたけれど、見て見ぬフリしてた…」
「教えてくれてありがとう」
「これからは関心を持ちます。また教えて下さい」
と言ってくれました。
…そこで思ったのです。
知らない人に声をかけ、私が情報を発信していく。
これは私には凄く難しい事です。
でも、今日、勇気が与えられ「話しかけないと!」と思ったのです。
そして、1つ分かった事があります。
今、自分が訓練されているという事です。
自分に苦手な事を、心をかき立たされ、
見知らぬ人に声をかけ、情報を伝え、信頼を得ながらまとめていく。
主が、私にとって難しい事を、
今、私が置かれた場所で、訓練されているんだと気付いたのです。
そして、この訓練は「主に喜ばれること」です。
また最近、福音を知らない人が知っていく為に、
教会の中だけ(クリスチャンだけ)で過ごすのではなく
外との関係を大切にしないといけない。
ダイレクトに福音を伝える以前に、
関係をしっかり持てるようにしないといけない。
「この人がこういうんだから…一回聖書を読んで見るのもいいかも…」
「この人がこういうんだから…教会に行ってみる価値があるかも…」
と思ってもらえるようになりたいし、
この過程を通して、クリスチャンが増えていくんだろうし…
だから、外との繋がりを大切にしないといけない…と考えていました。
そして、今日、私は自分が今、福音とは違ったものを伝えていますが、
しかし人間関係を構築する為に必要なコミュニケーションの場ともなります。
そう気付かされました。
そう思うと、日常の一つ一つが訓練です。
何となく、「面倒だな…」と思いながら、掃除をするのではなく
「毎日毎日、本当に…💦」と思いながら、食事の準備をするのではなく、
一つ一つの日常は、訓練。
主を伝える者となる為に。
福音を伝える者となる為に。
忘れないように毎日祈ろう…
「私は今日、主が喜ばれる事だけをする事が出来ますように。」
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)