神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
詩編139:23-24
韓国に住んでいる長男が、教会の青年会で国内短期宣教に行きました。
済州島(チェジュ島)に一週間行きました。
32名の青年が参加したそうです。
長男は、中学生の時から短期宣教によく行っています。
今年は、青年部の牧師先生と神学生の長男が
リーダーとして下見をし、計画を立て準備をしたそうです。
長男は「今年の参加人数は最高に多い!」
「早天祈祷のメッセージを任されてる」と言っていました。
短期宣教に行く前に、参加者は何度も何度も集まり、
実際的な準備や、祈って霊的な準備をするのです。
そういう意味では、短期宣教は行く1カ月程前から始まっているのです。
長男は、出発する時や、途中途中で写メを送って来てくれていました。
そして、短期宣教が始まって3日経った夜中に電話がありました。
疲れ切った声で、祈って欲しい…と。
今まで経験したことがない位、みんながバラバラだと。
互いにストレスがあり、凄く雰囲気が悪い…
その理由として、済州島も雨が凄いらしく、天気が悪すぎる。
そして外に出て伝道!と言うより(雨で外に出れない)
教会の補修工事をする時間が長く、
皆が思っていた宣教旅行と違う…と感じている様子。
皆が、自分が感じる不満からくるストレス。
でもこのストレスは可笑しい…
自分が望んでいた宣教旅行と違うというストレスに対して
悔い改めが生じたようです。
礼拝は一日に何度も捧げます。
その度に、一人ひとりが前に出て、
自分の思いを告白し、悔い改めたそうです。
それを聞いて私は「あ~じゃ、ちょっとは雰囲気良くなったの?」と聞くと
長男も大きなストレスを感じている様子。
どうしたのかと聞くと、
どうしても1人だけ…悔い改めを聞いても
「何それ?」と思ってしまう人がいると言うのです。
長男より8歳年上のお兄ちゃんがいるのですが、
普段から自分勝手で青年部の輪を乱すところがあり、
存在自体に難しさを感じていたそうです。
長男は初め、彼が短期宣教に参加すると聞いて、驚いたそうです。
そして実際に参加してみて、
流石に短期宣教に来てるんだから…と思っていたそうなのですが。
「したらいけない事しかしない!」と言うのです。
「今は私語を辞めて話を聞いて下さい」→ 1人話し続ける
「食事の時間です」→ 食べない。食事以外の時間に食べる。
「消灯時間です」→ 寝ない。奉仕時間に寝る…
「もう…30歳になるお兄ちゃんなのに…中学生の反抗期みたい…」
「話し方も攻撃的」「何かにつけて文句を言う」
「輪を乱そうとしようとしてるとしか思えない」
「…なのに…悔い改める…でも…礼拝が終わったら何も変わっていない。
ずっとふざけているし、他の人も迷惑を感じている。
多分、自分でも分かってると思う…」
祈っても、悔い改めても、態度が1つも変化がない。
そのような彼の悔い改めを聞くと、
長男にとって、彼の悔い改めが一層ストレスを感じさせたようです。
…何となく分かります。
長男の気持ちが。
教会にも「この人は本当に…どうしてだろう…」と思ってしまう方っていると思います。
「本当にクリスチャンなのか?」と言いたくなる…
長男は、短期宣教を終え、宣教中の写真を送って来てくれました。
一枚の写真が気になりました。
多分、土木的な作業を終え、1人そこに残り、周りには誰もいない様子。
腰を掛け、頭を垂れて手を組んで祈っている姿。
祈る姿に哀愁を感じました。
私たち家族は、それが長男のように見えました。
昨晩、通話をした時、
「あの写真は誰が写してくれたの?
あなたが1人作業場に残って祈ってる姿を見て、
本当にしんどかったんだろうな~と思った」というと、
「どの写真? あ、あれはあの8歳年上のお兄ちゃん。
多分、丘の上から牧師先生が写したと思う」というのです。
その答えを聞いた時、
一番しんどかったのは、
長男ではなく、8つ上のお兄ちゃんだったかも。
と思ったのです。
多分、彼は、色々な事が思う通りに出来ないのでしょう。
こうしたらダメ。みんなに迷惑かかるし、嫌われるかもしれない。
って分かっているんじゃないか…
でも出来ない自分がいるのです。
祈ってもなかなか変わらない自分。
ダメだと分かっていてもしてしまう自分。
自分で自分の心を治める事が出来ず…どうしていいか分からない彼は
それでも1人で祈っていたんだと思ったのです。
教会で輪を乱す人は、自分でも何となく分かっていると思います。
自分は好かれていないとか。
自分に対して不満な思いを持ってる人がいるとか。
でも、多分…どうする事も出来ない…
祈っても自分は変われない…
そう思ったら、この様な輪を乱す人っていうのは、
凄く孤独かもしれません。
自分の中で葛藤しながら信仰生活を送っているのではないか…
もし誰か一人でも、そんな人の隣人となって
共に祈ってあげる事ができたら…
その人も、主も、喜ばれるのではないか…と思いました。
…多かれ少なかれ、
彼の姿は、私の姿です。
私もこのままでは、祈り願うような姿に変わらないと、
分かっていながら我を通す事があります。
分かっているのに、出来ないのは、苦しい状態です。
主なら、そんな私たちの姿を見て、
ため息をつかれるのではなく、
憐れみの思いで見て下さるのではないか…
私は人を責めたり、評価できる人ではない…
主がされないのに、私がするなんて…
8歳年上のお兄ちゃん。
主が彼の心を触れて下さり、深い慰めを得る事が出来ますように…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)