わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしててはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネ14:27
私の家族は、夫、私、息子が2人です。
長男は大学生で韓国の大学に通っています。
韓国の教会の寮に住んでいます。
次男は高校2年生。
次男は今の所、日本の大学を考えているようです。
次男が高校を卒業すると、
家族はバラバラになる可能性があります。
それで、いつからか…
夫の案で日曜日の夜は、ビデオ通話の時間を持つようにしています。
長男は、韓国で神学校に通っています。
教会の敷地に、教育館(幼児、小学生、中高生、青年の礼拝などに使用)があり
その一番上の階に寮があります。
教会に住んでいるのです。
教会での奉仕が本当に沢山あります。
大学での勉強や試験、教会の奉仕、アルバイト…
本当に大変そうです。
韓国の教会は大きいです。人も多く、プログラムも多いのです。
教会で奉仕をする中、
教会の中でも全てが「主の愛」に包まれている訳ではないと感じる事が多いようです。
主の御心…というより自分の思い、
自分の願い、こうあるべきだという主張を
奉仕をしない人から聞かされるようです。
だからと言って、長男が例えば年配者に対して
「それは主の御心ですか?」「祈った答えですか?」なんて言えません。
自分の信仰と、人々の願いや思いの間に挟まれる事が多いようです。
「もう本当に…ははは…(笑) 間に挟まれてるよ~
教会の中は、主の愛だけが存在する訳ではない!
でもねー 何故かそんな中でも、自分は凄く幸せだと感じれてる…」
「主は僕に、知恵と愛を与えてくれてるのが分かる…」と言うのです。
そして、次男は…
6/15のブログに書いたように、
生徒会で頭を悩ませています。
学校改革の為に1年前に次男の学校に来られた先生。
この先生は学校改革をする為に学校に来たのです。
立場的に、学校改革をしなくてはならないのです。
また、高3の生徒会に参加している先輩たちは、
自分のAOの大学試験の為に「学校改革」をしたいのです。
改革の内容はどうであれ、何か実績を積みたいのです。
無理に推し進められる学校改革。
学校改革をしないといけない先生の指揮のもと、
学校改革を何とでも早くしたい先輩。
その中で、次男は、この学校改革の意味、
本当に学校の為の改革なんだろうか。という主張をすると
先輩たちに文句を言われるのです。
そして先日、多くの学生の前で先輩に攻撃された次男。
家族のビデオ通話の中で、
次男は、自分の置かれた状況を説明しました。
苦しかったこと。腹が立ったこと。
多くの人が自分の為に学校改革をしようとしていること。
本当にこの学校の為。この学校に通っている生徒の為なのか…と言う思い。
ムチャクシャして日曜日、教会に行ったそうです。
そして礼拝堂に着くと、その日は他教会から牧師先生が来られていたそうです。
次男は礼拝後、気が付くと、その牧師先生の前に行って大泣きしたそうです。
泣いて泣いて、鼻水もずるずる…
自分でも驚く程泣いたそうです。
そして祈って貰ったそうです。
…「問題は何も解決していないけど、心は平安になった!心は喜びで満たされてる!」と言うのです。
私は、クリスチャンって素晴らしいな~と思います。
長男も次男も、置かれた状況に変わりはないのです。
変えられたのは、自分の心。
自分の心は、イライラや不満、爆発しても可笑しくない状況なのに、
心には平安が与えらえるのです。
主は、本当に素晴らしい…
また、主がこのような経験を与えて下さっている事に感謝です。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)