信仰の創始者であり、完成者でイエスから目を離さないでいなさい。
へブル12:2a
入院している患者さんで、
入院中に自分の病名を知ったり、
または、日に日に自分の身体が弱っていくのを感じたり…
「死」という文字が頭を過ぎるという人は多いです。
「何の為に生きてきたんだろう…」
「自分の人生に何の意味があるんだろう」
「自分の人生はこれで良かったんだろうか」
と言うような事をよく聞きます。
多くの人がそう思うのではないでしょうか。
もし、自分がベッドに横たわっている人だったら…どうでしょうか。
自分に「死」が近づいて来ているのを感じ、
何を考えるでしょうか。
多分、彼らと同じように、自分の人生を振り返るのではないでしょうか。
そして、自分の人生はこれで良かったのだろうか…と考えると思います。
自分の人生は何に時間を使ったんだろう。
自分の人生を一言で表すならば、
何と言う事が出来るんだろう…
…私は毎日、凄く忙しいです。
しないといけない事が多く「これまだですか?」「あれはどうなりました?」とずっと連絡が入ります。
一日一日があっという間に過ぎ去り…
時々「私は何をしているんだろう…こんな事に時間を使って良いのだろうか?」と考える時があります。
そんな事を考えながら、
今日、私は実家へ行きました。
両親は主のもとに帰ったので、実家はもう誰も住んでいない状態です。
荷物の片づけをしながら探し物をしていました。
生前、父親はカメラが趣味でした。
沢山の写真が実家にあります。
「お父さん、カメラ本当に好きだったよな~」と懐かしく感じました。
いつも実家に行くと、自分が写した写真を見せてくれ
カメラをどの様な設定にしたかを説明してくれていました。
でも、カメラにそれほど興味がない私は、
父親の話は余り分かっていませんでした。
「今になっては、もっとちゃんと話を聞いてれば良かったな…」と思いました。
そう思いながら、色々な被写体の写真を見ながら
気付いた事がありました。
「写真を写す時は、全部を写したらだめ。
どれか一つにピントを当てないとダメ」と
言っていたのを思い出したのです。
桜の木をを写す時も、何も考えずに「綺麗な~」と思いながら
何気に写すのではなく、
綺麗な桜の中でも、一輪にピントを当てる事が大切!と言っていたのを思い出したのです。
父親が写した写真を見ると、
父親が被写体として一つを選び、そこにピントを当てているのが分かります。
「あ…これを中心として、写真を撮ったんだな」
「この桜の木の中で、この子(花)が主役だったんだ」と分かる写し方です。
被写体を決めて写している写真は、
凄く美しいです。
なるほど…人生もこれと同じかもしれない…と思いました。
出来るだけ沢山の被写体をカメラに収めるのではなく、
焦点を決める。
私たちは、日々忙しい時間の流れの中に存在しています。
しないといけない事が多いのです。
その中でどのようにすれば、
焦点を当てれる生き方をする事が出来るのでしょうか。
まず… 起きた時に祈るのです。
「主よ。今日も新しい一日を与えて下さり感謝します。
今日、私は主が願っている事をする事が出来ますように」と祈るのです。
私たちクリスチャンは、
キリストに焦点を当てる人生を歩むべき…
主に焦点を当てて、
今日も一日、過ごす事ができますように…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)