ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。
Ⅰ歴代誌4:10
ふと… もっと貪欲になろうと思いました。
主の祝福に対してです。
盲人であったバロテマイは、大声で
「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながら主について行ったのです。
イエスさまが
「私にそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは、「そうです。主よ。」と言った。
そしてイエスさまは目をさわって「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われ癒されたのです。
大声で叫び、主が振り返ってくれるまでついて行ったのです。
主は「あなたの信仰の通りになれ」と言われたのです。
という事は、「私次第」…
主の恵みは、私が求めるか求めないか… 私に委ねられている部分がある。
私がどれぐらい信じるかによって、大いに受ける事もでき、少なく受けることもある…
私は… 私にゆるされている最大限の祝福が欲しい…
何となく、特に経済的な祈りは「必要を満たして下さい」と変に謙虚になり、
多くを求める事に、何となく心に引っ掛かりを覚えます。
お金は多くを得ることを覚えると、もっと!という思いに苛まれるようです。
ですから私たちにとってコントロールしにくい存在でもあります。
しかし、私たちがギリギリの苦しい生活を送る事を望まれている訳ではないと思います。
確かに、何かを教えるために、経済的な苦しさを与えられることも大いにあると思います。
でも、基本的に主は私たちが豊かに幸せに生きる事を望まれているのです。
私たちは、経済的にも、健康面も、人間関係も、仕事も、勉強も、運動も、
自分に関する全てにおいて、祈って良いのです。
聖書に、自分に関する全ての領域において祈っている人物がいます。
ヤベツです。
自分が感じる限界を越えさせてください…という祈り!
…私たちは、沢山の限界を持ってしまっています。
私はできない。
私は愛されない。
私は必要とされてない。
私は能力が足らない。
私は幸せにはなれない。
私のような者が主に用いられない。
私の家族は救われるのが難しい。
私の夫は絶対に変わらない。
私の病は癒されない。
私は何をしても上手くできない。
私は人と上手く付き合う事ができない。
私は仕事が出来ない。
私にはリーダーシップがない。
このように不可能だと思い込んでいる「自分が考える限界」が沢山あります。
ヤベツの祈りの「私の地境を広げてください」の「地境」が、この「自分が考える限界」だと思います。
「自分が考える限界」の枠を越えさせてください。
自分の限界の枠を超えるには、主に信頼し期待する必要があります。
だから、
…私たちが手に入れる事が出来る祝福は、私たちが主に、期待し望む大きさに比例すのだと思います。
主よ、祝福を下さい! 主のスケールで祝福して下さい! 私の地境を広めて下さい! と、大胆に祈っていこう!!と思いました。
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」