自分が置かれた場所【創世記39:4】

2024年

それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。

創世記39:4

今いる自分の場所。

家庭であったり、職場、学校、友達関係…

今、自分に与えられている自分の場所。

自分が望み描いた通りの場所でしょうか。

本当はこんな事をする為にこの会社に入った訳ではないのに…

もっと違う価値ある事をしたい…

こんな誰でもできる仕事ではなく、もっと充実した仕事をしたい。

こんな誰でも出来るつならない仕事ではなく、楽しい仕事をしたい…

もしくは反対に、こんな責任ある仕事ではなく、もっと気軽に仕事をしたい!など

自分が思い描いた理想の人生を歩める人は、凄く少ないと思います。

殆どの人が、願っていたのとは違う環境かもしれません…

これは、主の計画かもしれません。

ヨセフは17歳の時、自分が思ってもない、想像もしたことがない環境へと追いやられたのです。

抵抗する事も出来ず、されるがままに歩むしかなかったのです。

しかし、聖書を読むと、このヨセフの奴隷生活は無意味なものではなかった事が分かります。

ヨセフの奴隷生活は、主が与えようとして与えられた人生なのか、

もしかしたら、主が与えようとしたものではなく、

兄たちの良くない思いや心が、そのような道へとヨセフに歩ませたのかもしれません。

どちらにしろ、ヨセフの奴隷生活は無意味なもので終わませんでした。

主はこの奴隷生活と言う環境と時間を用いられたのです。

この期間、ヨセフの品性、主を信頼し続ける信仰、主の時を待つ訓練…

このようなものをヨセフの中で練り上げられ、磨かれ、エジプトの総理大臣にまで導いたのです。

ヨセフは、与えられた環境に不満を言わず、人を恨まず、

ただ忠実に、与えられた仕事をし主を信頼し続けたのです。

時が満ち、全てが一気に解決へと進んだわけではありません。

どの様な環境にも忠実に仕えるヨセフを通して、主はヨセフの周りの人を祝福されました。

ヨセフは祝福の源となったのです。

自分の存在を通して、自分に与えらえた場所が祝福されていったのです。

今日の御言葉にあるように、

ヨセフはポティファルにことのほか愛され、ポティファルはヨセフを側近の者とし、その家を管理させ、ポティファルの全財産をヨセフの手にゆだねた。

短い御言葉ですが、ヨセフは、

直ぐに主人に愛された訳でもなく、

直ぐにポティファルの側近になれた訳でもない。

直ぐに家の管理を任された訳でもなく、

直ぐに全財産を管理する事になった訳でもない…

ヨセフは、いつまで続くのか分からない日々を、自分に与えらえた場所で、ポティファルに仕えたのです。

ヨセフ物語を読むと、

自分の環境は与えられたもの…

私も、自分に与えられた環境を、不平不満ではなく、ヨセフのように忠実に主を信頼し歩み続けたい…

自分を通し、主の祝福を周りの人に分け与える事が出来るようになりたい…と思います。

自分に与えらえた場所とは、家族であり友達、職場… 自分の関係のある場所、人です。

主が私たちを用いようと派遣された場所が、

今、私たちがいる場所なのです。

今置かれた環境に感謝しつつ、忠実に歩みたいです…

タイトルとURLをコピーしました