わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
エレミヤ29:11
私は旧約聖書に出てくるヨセフのファンです。
ヨセフ物語は、何度読んでも学ぶ事が多いです。
今日で3日目連続で読んでいます。
昨日は、ヨセフにも牢獄から外に出たいという感情がありました。
献酌官長の夢を解き明かし
「どうか外に出たら、私を思い出し助けて下さい…」と。
しかし、献酌官長はヨセフの事を忘れてしまうのです。
もし私がヨセフなら…
献酌官長に対して、憎しみや不満が出ると思います。
「本当に人間とは自分の事しか考えれない…」
「喉元過ぎれば熱さを忘れる…」
と思い、私なら主に「献酌官長が自分の事を思い出すように…」と祈るかもしれません。
しかし、ヨセフが献酌官長に対しての感情は記録されていないのです。
ヨセフは苦労の連続でした。
奴隷という立場であっても、主に仕えるように心から自分の主人に最善を尽くしました。
しかし、ヨセフが仕える主人であるポティファルの妻に
誘惑され、濡れ衣を着せられたのです。
必死で罪から離れようと警戒し過ごしていたにも拘らず…
ヨセフは自分に出来る最大の事。罪の誘惑から自分の身を守ったのです。
それにも関わらず、はめられ牢獄に入れられたのです。
いつか事実が明らかになり、牢獄から釈放されるという保証はありません。
一生、牢獄で過ごす可能性もあったのです。
しかし… この時もヨセフはポティファルの妻に対する不満が記録されていません。
もし私がヨセフなら…
「主よ。私は自分を罪の誘惑から守ろうと努力しました。あなたもご存知のはずです。どうして私を助けてくれなかったのですか? あなたは私が誘惑されている事を、知らなかったのですか?」
と、言いたくなります。
そして、元はと言うと、ヨセフがこのような転落を続ける人生を歩んでいる原因は、
兄たちにあるのです。
実の兄たちが、自分を殺そうか迷った挙句、
外国に自分を銀貨20枚で売ったのです。
兄たちがそんな事をしなければ、ヨセフは奴隷になる事もなかったし、誘惑されたり、はめられたり、牢獄に入る事も無かったのです。
兄たちのせいで、22年もの間、自分が望むような人生を歩む事が出来なかったのです。
兄たちのせいで、自分の人生が狂ったのです。
しかし、この兄たちに対する憎しみ、恨みなども記録されていないのです。
まるで…
人間の悪なる思いが、自分の立場や環境に影響を起こしたとしても、
それをも超える主の御力と計画があり、
自分が望む時と、主が望む時が違うと分かっている様な気がします。
献酌官長が自分を思い出さない事実を目の前にして、腹を立てるというより、
主の時を待たずに自らが動いてしまった事に気付き…
ヨセフは「主の時ではない」と確信し、今までより一層、謙遜に過ごしたかも…
私もヨセフのような主を信頼する信仰を持ちたい…
自分を取り巻く環境に心を奪われることなく、
主の計画の中を歩んでいるという信仰が欲しい…
全ての創造主である主を信じる信仰が欲しい…
今日も、主と共に歩む事を選択しましょう!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」